派遣生レポート

マレーシア滞在でわかった、“日本人がもつべきもの”

東京農業大学 地域環境科学部 生産環境工学科 3年
鶴田昌平

初めに

今回僕がこのマレーシア夏期学校に参加したいと思ったのは、自分の専攻している農業工学の対象地域としてアジアに興味があったためです。日本のメディアでは中国、韓国以外のアジア地域のニュースが報道されることは少ないですね。そのためマレーシアに特別な思い入れや、事前オリエンテーションで知ることになったこと以外に予備知識があったわけではありません。ただアジアという地域に触れたかったこと、色々な人に出会いたいという気持ちだけが僕の原動力でした。結果的に、専攻分野をこえて色々なものを見聞きし考える機会ができました。このレポートでその経験を少しでも記せたらと思います。

思っていたのと違う国

アジアといえば「暑い国、照りつける太陽、降り注ぐ紫外線」でしたがそんなことはなく、暑さに関しては東京のほうが湿気を含んでいる分不快に感じる人が多いのではないでしょうか。マレーシアでは半袖に長ズボンでちょうどいいくらいでした。そして、空港から市内へいたるバス内で早くも自分のアジアのイメージとマレーシアは違う国だぞ、と気づきました。なぜなら道路網がきちんと整備されているじゃないですか! それも日本よりも機能的に、余裕をもってです。もっとも、過ごしているうちに車だらけのここでは日本と同じように交通渋滞だらけなのだとすぐに気づきましたが、それでもほとんど整備されていない土むきだしの道を想像していたので驚きには違いありませんでした。窓からみえる建設途中のマンションや大型の橋梁からも今まさに成長している国なのだという印象を受けます。
そして僕のイメージはクアラルンプール(KL)市内に行ったときにますます覆されました。KL市内はもう先進国といってもいいほど綺麗な街です。大型のショッピングモールがいくつも立ち並び、ペトロナスツインタワーやKLタワーといった高層ビルは観光の目玉になっています。夜にもなればライトアップされたタワーのふもとで記念撮影をしようという人でいっぱいでした。やっぱりマレーシアは僕のイメージとは違っています。観光客が夜に楽しく気軽に出歩けるような国だと思っていませんでしたから。
 とはいえ僕のイメージ通りのアジアもまた、マレーシアは持ち合わせていました。中心街から少し離れると、そこにはまだまだ華々しい発展の波は来ていません。埃っぽい空気に大量の車、加えて混ざり合う言語。マレー語、中国語、ヒンディー(インド)語……、ほかにも色々と混ざっていたのかもしれません。夜になると屋台に灯がともり始め、なんだか怪しい雰囲気です。そしてそこに、マレーシアのさらなる発展や可能性を見出すことができたように思います。

多民族国家のマレーシア

言語の話が出てきたので、マレーシアの人口構成、そして多民族国家であることについて少しふれたいと思います。マレーシアはだいたい人口の6割がマレー人、3割が中国系、1割がインド系です。異なる人種が同じ国で生活しているいわゆる多民族国家です。日本で生活していると自分から積極的に行動しないかぎり日本人以外の人と接する機会はなかなかありません。僕自身そういう人間でしたので、マレーシアで初めて多民族国家というものに触れる機会を得ました。また、多民族国家について話すときに宗教についても触れないわけにはいきません。マレーシアで主流の宗教は大きく三つあり、イスラム教、仏教、ヒンドゥー教です。それぞれマレー系、中華系、インド系の人たちに多く信仰されています。

こういった異なる民族・宗教が多く集まっている国では頻繁に人種差別、宗教間対立がおこるものですが、マレーシアではそういった話はあまり聞きません。実際に僕たちが通っていたIUKL(Infrastructure University Kuala Lumpur)で知り合った友人と話していても、個人間の好き嫌いはもちろんありましたが、それは民族や宗教を否定するようなものではありませんでした。これも単一民族で人口のほとんどが構成されている日本で過ごしていると感じにくい空気だと思います。日本では外国人をみると過剰に親切になったり、そうでなければ警戒してしまう人が多いですよね。日本人の性質なのか国民性なのか、少数派の人々に対しての興味警戒が強く過剰な反応を示す場面は多いはずです。それに比べてマレーシアの空気には寛容性が満ちていました。

マレーシアから学ぶべきもの

マレーシアで日本から来たのだと話すと、「日本のテクノロジーはすごい。」「トヨタ、ホンダ、ニッサンなど優秀な車が多くあるよね。」「日本に行ってみたくて日本語を勉強しているんだ」「KAWAII、MANGA!」など日本について知っていることを楽しそうに話してくれる人が多かったのに驚き、また嬉しく思いました。親日家が多く、日本に憧れを抱いてくれている人も多いようでしたが、日本人も彼らから学ぶことがあるのではないでしょうか。

世界からみれば“普通”、日本からみれば特殊な多民族社会。今後主流となっていく社会のありかたは間違いなく前者でしょう。そんな社会がきたときのために、なぜマレーシアでは多民族国家がうまく成立しているのか、その秘訣を知りたいと思いました。
 その時にキーワードとなるのはもちろん前述した寛容性です。いったいそれはどこから生まれるのでしょうか。滞在中に生まれたその疑問の答えの片鱗は様々な場所に落ちていました。

結論から述べると、大事なのは「自分たちの文化に誇りをもつこと」だと思います。僕は食文化こそがその民族を語るのに絶対的不可欠なものだと考えているので、この疑問を感じてから学内のカフェテリアで食事をしているときや、KL市内を歩き回っているときに観察していたのですが、マレーシア料理の店、中華料理の店、インド料理の店、とそれぞれの民族のレストランが多いです。そしてそれぞれ自分たちの民族料理店によく集まっています。それらの店ではすでにそれぞれのコミュニティができていて、他の民族のお客さんは少なそうでした。料理人たちも、見た目から判別がつく範囲では、その民族の人のようです。「マレーシア料理」はもちろんマレー人が先住民族の国ですから別として、ここで注目したいはその他の民族料理のほうです。これだけ多くのお店がありその民族のお客さんが多いというのは、彼らの味を守り正確に受け継いでいるからだと思います。意識しているかいないかに関わらず、食事はその民族の土台を築くのではないでしょうか。そしてこの土台がしっかりしているからこそ、交差する文化のなかで精神的支柱を作り、他者を気遣う余裕となり寛容性を形成するのだと考えました。他の文化を取り入れ自分たちのものにしてしまう日本には、こういった気遣いが足りていないのかもしれません。他の文化を取り入れる姿勢が強いことは、寛容性があるように見えますが、「自分たちのものに」という部分が問題です。カレーやラーメンしかり、相手を変質させてしまうのです。自分たち好みに作りかえて文化に取り入れることは寛容性とは正反対を向いています。
 マレー人がマレー料理を食べている隣でインド人がインド料理を食べている。そんな自分は自分、他者は他者とはっきり分けてしまえるような潔い寛容さが我々日本人にも必要になってくるのではないでしょうか。

最後に

偶然知ったこのプログラム、冒頭にも書いたようにアジアに行ってみたいというだけで参加しましたが、数ある国のなかでこのマレーシアを訪れたことは自分にとって予想以上の刺激となりました。現地や日本でサポートしていただいたマレーシア政府観光局や大学関係者の皆様がた、そして3週間いっしょに過ごした日本の友人とマレーシアでできた友人たちに感謝しています。