派遣生レポート

「違う」ことの魅力

北海道大学 法学部 3年
阿部汐紗

マレーシアの魅力

マレーシア夏期学校での私の目標は、多民族国家のマレーシアを体感して、帰国したときにいつもの風景が「なんか違う」と感じることだった。私は今まで海外に行った経験がなかったので、日本を外から見たことがなく、少しでも今までと違う角度から日本を見てみたいと思っていた。また、自分個人としても、様々な民族が共存するマレーシアという国で3週間過ごして、日本人としての自分をどう感じるのかを知りたいと思った。多民族国家マレーシアは様々なバックグラウンドの人に出会える環境として、自分にとって最高の場所だった。

マレーシアに到着!

私がマレーシアに着いたときにまず感じたのは、マレーシアが思ったよりも寒かったことだった。滞在中のマレーシアの気温は25~27度くらいで、日本とそんなに変わらないものだった。自分の中では勝手に南国をイメージしていたので、これは大きなギャップだった。

また、急成長しているということを聞いてはいたが、市街の発達ぶりを実際にこの目で見て、まだまだ開発途上というイメージがあったマレーシアの印象が大きく変わった。私たちがマレーシア滞在中に住んでいたマンションに併設していたスーパーでは、日常生活をする上で必要なものは何でも買うことができた。日本出国前は、ティッシュさえマレーシアでちゃんとしたものを買うことができるか不安で、行きの関西空港で友達と一緒にティッシュを買って行ったが、そのような日用品も含め何でも手に入れることができ、初日から私のマレーシアへのイメージは塗り替えられていった。

自由な店員さん

マレーシアのお店では、お客さんがいないからという理由なのか、店頭で食事をとっていたり、スマホをいじっていたりしている店員さんをよく見かけた。少なくとも日本の「営業スマイル」を取り入れているお店はなかなか見受けられなかった。接客も、同じ店でも個人個人が自由に接客を行っていて、日本に比べて「何かに縛られている」感じがないように思った。良く言えば「自由・気まま」、少し言葉を悪くすると、「適当」という言葉が合うだろう。しかし、この様子が悪いのかと考えるとそうではないかとも感じた。この国では、逆に日本のような丁寧な接客は風土に合わないのかもしれない。

私は、日本人の真面目さや丁寧さは美しいし素晴らしいと感じるが、日本人のそういった気質が原因のストレスが社会に蔓延していないとは言い難い。このようにいろいろな人がいて、バランスが取れて世界は成り立っているし、日本人のキャラクターはその中の一部を構成しているに過ぎないのかもしれない、と私は感じた。

歴然とした語学能力の違い

私たちが通ったIUKL(Infrastructure University Kuala Lumpur)では、留学生も含め多くの学生と知り合うことができた。特に私たちはIUKLで学ぶマレー人の数人の学生に、観光に連れて行ってもらったり様々な企画をしてもらったりと大変お世話になった。彼らは、マレー語、英語、中国語を話すことができるばかりか、私たちと意思疎通ができるほどの日本語を話せる学生さえいた。話を聞いたところ、マレーシアでは、日本と違って外国語を学び始める時期が早いことや、そもそも友達と話す中で自然と学んだ語学がそのまま身についてくるということだった。

その一方で、私は英語すら、なかなかうまく使うことができなかった。少なくとも中学校と高校での6年間はしっかりと英語を学習したはずであり、私が英語を学んだ日々のゴールは一体どこにあったのかと考えると、改めて残念な気持ちになった。日本の教育方法が全て悪いとは思っていないが、それも原因の一部ではあると思う。このプログラムに参加した友達の一人が、マレーシア人向けの日本について書かれた本を買っていて、その中に『日本人が学んでいるのは「Examination English(試験用の英語)」だから、日本人は話せる英語を身に付けていない。だから期待しないように』という内容が書かれていることを教えてくれた。それを読み、まさに自分のことだと思い恥ずかしくなった。

しかし問題は実践的な英語学習の機会を与えない日本の教育制度だけではない。私はマレーシアで、日本の自分の大学で英語を使う授業を途中放棄したことを思い出した。原因は自分にもあった。語学学習で大切なのはコミュニケーションをしたいという気持ちだが、この気持ちを、今回身を持って体感することができた。これからは投げ出さずに本物の語学習得に励もうと思う。マレーシアは努力の足りなかった自分の背中を押してくれた。

マレーシアのおもしろさを求めて

私たちは3週間のうちのだいたいの時間をクアラルンプールで過ごしたが、クアラルンプールのビルが立ち並んだ都市部の中心であるKLCC地区などは本当に発展していて、ショッピングモールを歩いていると日本の百貨店にいるような気持ちになった。クアラルンプールでは、「スリアKLCC」や「ミッドバレーメガモール」、「マインズ2」などたくさんのショッピングモールに行く機会があった。最初にショッピングモールで買い物ができたときは、日本のことを思い出すこともできるシッピングモールを見て回るのはとても楽しく感じたが、マレーシア滞在も後半になってくると、だんだんマレーシアらしいお土産が欲しくなってきて、日本でも行けるようなお店が立ち並ぶショッピングモールでは物足りないと感じるようになった。

セントラルマーケットやチャイナタウンでは、マレーシアらしいものが買えたり、値切り交渉などマレーシアらしい買い方ができたり…ショッピングモールよりも充実した買い物ができた。食事も、ショッピングモールのきれいなレストランでの優雅な食事もいいけれど、夜に屋台で食べる食事は安くておいしくて魅力的に感じた。

クアラルンプールでは、大学の周りを始めとして、たくさんの建設中の建物があった。きっとこれからマレーシアは、どんどん都会的な部分が増えるのではないかと思う。でも、やっぱりマレーシアで一番おもしろい部分は近代的なビルやショッピングモールの中ではなくて、衛生面がちょっと不安な屋台の中や、やたら「超カワイイ」と連呼してくるチャイナタウンの店員との値引き交渉の中にあるのではないだろうか。これからマレーシアがどんどん発展していく様子はとても興味深いが、マレーシアのおもしろい部分はそのままであってほしいと感じる。国が発展することが、近代的で一様な「先進国スタイル」になることとイコールなのはさびしいことだから。

普遍的なもの

今回、マレーシアという多民族国家の多様性に触れて、様々な出会いと発見があった。マレーシアは、マレー系、インド系、中国系の民族を始めとして多数の民族があり、宗教もイスラム教、ヒンドゥー教、仏教を始めとした様々な宗教が信仰されている。仏教に関しては、少なからずどのような宗教であるかという感覚はあったが、食事などに関しても制限のあるイスラム教やヒンドゥー教の人と身近な存在になったことがなかったので、なんとなく自分たちとは違う世界を生きているような気がしていた。

でも、実際IUKLでの様々な催し物や、マレーシアの伝統工芸バティック製作の際に出会った学生たち、様々な国籍の先生方、ホームステイ先の家族になど実際に会って話してみると、思っていたような壁は一切感じなかった。むしろ大学で出会ったマレーシアの学生たちはスマホでの自撮りが好きな陽気な人が多かった! 宗教も服装も言葉も違っても、根本的な部分は同じなのだな、と実感した。この気づきは、私の世界観を大きく広げてくれたし、自分で思っている以上の自信になったと思う。

今後に向けて

マレーシアで過ごした3週間では、素敵な思い出を作ることができたと同時に、日本に帰って次にやりたいことが見えてきた。それは語学をやることだったり、宗教について勉強することだったり、自分の興味のあることにもっと飛び込んでみることだったりする。  マレーシアを出るまでは、日本が私の世界の全てだった。だからと言って、日本のことを深くは知らなかった。日本は衛生的だし、ものはたくさんあるし、何も不自由することなく生きていくことができる。でも、そこに感謝することや自分のいる場所に興味を持つ気持ちを忘れていた。

帰国して家に着いて、自分の部屋に入った時、私は、期待していた「なんか違う」感覚をついに感じることができた! うまく説明できないが、慣れ親しんだ自分の部屋のいつもの風景が少し立体的に見えた気がした。それは自分の部屋だけではなくて、前よりも様々なことに対して奥行きを持って考えられるようになった気がする。 これから私は、前よりも好きになれた日本、そして地元の札幌で、この新鮮な気持ちを忘れることなく、日本人として、一人の個人として、これからも自分の可能性に挑戦していきたいと思っている。

Terima kasih!

最後になりましたが、私がこのような素晴らしい経験ができたのはマレーシア政府観光局・マレーシア夏期学校の運営事務局の方々のお力をはじめ、IUKLでお世話になった先生方や学生の皆さん、そしてホストファミリー、マレーシアで出会ったすべての方々のご協力、そして3週間を共にした15人のステキな仲間たちがあってのことでした。この場を借りて改めて感謝の気持ちを伝えたいです。本当にありがとうございました!!