派遣生レポート

『多様性に囲まれて』

学習院大学 法学部 政治学科 3年
須永早紀

そもそもなぜ私がこのプログラムに参加したか? ツインタワーが見たかったから。(あながち嘘ではない)
 昨年、大学の国際交流センターの前で『ルックマレーシアプログラム』のポスターが張ってあるのを見た。応募した。書類すら通らなかった。落ちた。
 そして、今年の同じ時期に、夏になにをするか悩んでいた。今まではほとんどバイト、ときどき遊びで終わっていたが、3年生のこの夏がなにかできる最後なのではないか。2016年度卒からは就職活動時期が遅くなるから、多分来年の夏はない。だけれども、就職活動期間が短くなるからこそインターンの重要度が増すともいう。

結局、私はやりたいことをやろう! と決めた。そのときに、海外に行きたいと思った。それも旅行のようなものでなく、2~3週間。一番やりたかったことは、「英語」。百貨店でアルバイトをする中で、日々英語のできなさを感じていた。伝えられない自分をもどかしく思っていた。そこでふと前年落ちた『ルックマレーシアプログラム』を思いだし、さっそくスマートフォンで検索をかけた。締め切りまで3日間。急いで申込書を書いて、郵便局に出しに行った。
 というのが応募までのプロセスである。一度は落ちたものの、締切にぎりぎり間に合うタイミングのよさで思い出す。このプログラムにはなにか深い縁を感じたものだ。

さて、参加目的であるが、私は、英語力の向上、発展途上の現場、多民族国家とはなにかを見て、自分の知らないことを知ることができたらいいなと思っていた。また、所属しているゼミが東アジア政治であることから、アジアを見て、学問にも繋げられればよいなあ、とも思っていた。
 以下ざっくりと項目ごとに書きたい。

①英語力の向上について。

このプログラムは、英語ではなく文化を学ぶプログラムである。
 よって、こういうシーンのとき英語で何という単語を使いますよ的な授業はない(単語のカードゲームをする授業はあった)。しかしながら、私は、このプログラムに参加して、もっと英語を話せるようになりたいと思うようになった。英語が十分に使えないことで、何度も現地のマレーシア人学生に伝えたいことが伝えられないという場面に遭遇したからである。もういいよ、大丈夫だよとさえ言われたこともあった。それが辛かった。話したいこと、言いたいことはあるのだけれど、会話が続かないから諦める。嘘がつきたいわけじゃないのに、違うのはわかっているのに、言いたいドンピシャの表現がわからないから、違う表現を使ってしまう。
 英語は、外国の人とコミュニケーションをとるために学ぶのだよ、と中学生の頃から言われてきたけれども、いまいち説得力にかけていた。大学に入ってすらも、英語圏の国々に行って話すためにやるのだ、と思っていた。しかし、今回のこのプログラムで、英語がコミュニケーションのツールであることを痛いほどに思い知った。これはむしろ英語圏では味わえないところなのでは、と思う。

②発展途上

行く前に読んだ、旅行ガイドブックの表紙から、私にとってのクアラルンプール(KL)のイメージには超高層ビルのツインタワーがあり、その周りを同じようなビルが囲んでいる近代的な街であった。確かに、KLの周りはそのようなビルでいっぱいであった。滞在先も郊外といえども栄えているのであろうと思った。しかし、私が目にしたのは、中華系の屋台がそばに立ち並ぶ滞在先。思っていた旅行ガイドの町並みではなかった。
 KL市内ですら、整備されていない道が何カ所もあった。同時に、たくさんの建築現場を見たことから、これから発展していくのだなということを肌で感じた。10年後、20年後のマレーシアを想像することにわくわく感があった。きっと劇的に町並みが変わるのだろうなあ、と。
 街の中のWi-Fi環境の良さは、日本を圧倒的に超えていたと思う。そこは、日本が2020年のオリンピック開催の際、海外からの観光客を迎え入れる上で見習わなければならない、と思った。

③多民族国家

これについては、選考の際にも触れた。私は、これが見たい! と。春にカナダに行った際に、最も衝撃を受けた点であるからだ。恥ずかしながら、私は、カナダに着くまで、カナダが多民族、移民国家であることを知らなかった。その中で、いろんな宗教、文化を尊重しあいながら暮らしている様子、治安の良さに感動した。
 マレーシアには、マレー、中国、インド、その他の民族が暮らしている。そして、マレー系はイスラム教、中国系は仏教であったりカトリックであったり。インド系はヒンズー教、といったようにそれぞれ異なる宗教的バックグラウンドを持っている。イスラム教は、豚肉が食べられないし、ヒンズー教は牛肉が食べられない。イスラム教はお酒を飲まないけれど、中国系は飲む。マレーシアに行く前にあった知識はこの程度である。
 現地ではどちらの宗教でも問題なく食べられる「チキン」をよく食べた。中華系の屋台が寮の前には並んでいたので、お酒は何度か飲んだ。学校のカフェテリアでは、マレー、アフリカ、インド、アラビックのお店があって、宗教など特に関係のない私は、日ごとに違うお店を楽しんでいた。
 金曜日の学校では、休み時間がいつもより30分も長かった。2時間30分lunch timeなのである。最初の週は、それを知らなかった。長過ぎるのでは、位に思っていた。しかし、後に理由を聞いたら、金曜日は、お祈りをしに家に帰るイスラム教徒の学生がいるからだという。なるほど! 納得。宗教が、生活(学生生活)の中に浸透しているのだなあ、と思った。

現地でとてもよくしてくれた中華系の学生たちとは、何度か車の中で恋愛の話をした。あるとき「日本人大学生は、カップルだらけだろう。恋人を作るのも簡単だろう」と言われたことがあった。内心「そうでもないけど」と思ったが、黙っていた。次の言葉で、その意味がわかった。マレーシアでは恋をする際にまずは相手の宗教のことを考えねばならないのである! もし中華系の男の子がマレー系の女の子に恋をし、結婚しようものなら、彼はイスラム教に改宗しなければならないのだ! それに、マレー系と中国系の結婚はあまり良いものとは捉えられていないようでもあった。
 私は、改めて彼の言葉を重く捉えた。宗教が良いとか悪いとかそういうことではない。宗教はより良く生きるためにあるものであり、信じるものがあり祈り続けられるのは美しいとすら、私は思う。

滞在中には、モスクを見に行き、ヒンズー教の寺院に行き、中国のお寺にも行った。それらはどれも違っていたが、それぞれ美しかった。

④アジアの中のマレーシア(日本とマレーシア)

私は東アジア政治演習 に所属している。東アジアといえども、わりと広い範囲でのアジアの研究が認められているものの、ゼミの中では主に中国、韓国が取りあげられることが多い。歴史問題、領土問題、戦争責任。その中で私の興味のあることは、対日感情と、モノの流れがヒトの心、さらには政治にどのように影響するのか、である。日本製品が好きだから、日本のことも好きになるのか。それとも、日本の製品は好きだけれども、日本は嫌いのままなのか。  マレーシアは、親日的であると聞いていた。かつて『Look East政策』をやっていたことからも、わかるかもしれない。だが実際に行ってみても、どう親日であるのかははっきりわからなかった。
 日本の影響力に関して。
 街の中では、沢山のドラえもん、キティーちゃんが見受けられた(すべてが本物というわけではない)。スーパーの中では、よくわからない日本語の書いてあるお菓子や生活雑貨を見た。日本が強いとしている電化製品では、スマートフォンでSONYを、TVではPanasonicの製品が売られているのを見た。
 韓国の影響力の強さを感じた。特に、電化製品。スマートフォンは、圧倒的にサムスンのシェアが1位であるようだ。また、他の電化製品においても、サムスンの文字をたくさん見た。ほかに、世界的にヒットした韓国のポップス『江南スタイル』をよく耳にした。地理的に中国の影響力が強いと思っていたので、それはちょっと意外であった。もちろん、中国製品は最も多かったが。

 マレーシアに行き、日本では考えたことのない視点から物事を考えることが多かった。
 また、当たり前と思っていたことが当たり前ではない、自分の中だけの当たり前であるということを痛いくらいに感じた。「そんなの“当たり前”だろ、20年間生きてきて、気がつかなかったのか」と言われても仕方がない。しかし、本当に、自分の当たり前は世界では当たり前ではなかったのだ。
    それはマレーシアという国、そして人から感じたことであり、また、3週間一緒に過ごした日本人の仲間たちからも感じたことである。そこで初めて、自分の過ごしてきた大学、高校の友達が比較的似た考え、バックグラウンドを持った集合体であったのかもしれないということに気がついた。
 そして、違うバックグラウンドを持った人たちに、自分の考え、大切にしていることを伝えられるだけのツールとしての言語を持つことはもちろん、パッションを持つことが、今後の自分の課題である、と。