派遣生レポート

社会人になる前に 必ず得たい貴重な体験

名古屋市立大学 人文社会学部 国際文化学科 4年
服部円香

今回、三週間のマレーシア研修プログラムを経て感じたことを記します。そもそもこのプログラムに参加した理由は大きく二つあります。一つ目に私は4月から、グローバル企業に身を置くことになるため、大きなマーケットである東南アジアに目を向け、そのエッセンスを学びたかったのです。二つ目に、私は大学三年生の時、オーストラリアに一年間留学をしていたのですが、ふと気がつくと親友たちはみんなアジア出身という共通点を持っていました。その時に、国は違えどもアジアというひとつの集団への帰属感を感じました。東南アジアへは足を踏み入れたことがなかったので、同じアジア人として似通った文化や生活を体験したいという思いもありました。しかしこの帰属感は、マレーシア滞在一日目から、いい意味で裏切られることとなりました。

想像と違う! マレーシア

私の知っていたマレーシア人は実はほとんどが中国系マレー人でした。彼らはマレーシアの人口のたった25%を占めるにすぎません。大半の65%はマレー人、さらにインド系マレー人という多様な民族が共生する国がマレーシアだったのです。市内では英語が通じるものの、ローカルな店やタクシードライバーの中には英語が通じない人々もおり、意志疎通に困惑することも多々ありました。

中国語が飛び交う繁華街を抜ければ、そこにはサリーを纏うインド人の住む街がありました。それぞれの地域で雰囲気や街の匂いが異なり、まるで別の国に来たかのように感じられました。「アジア人」にもこれほど多くの言語があり、生活があるということに気づきました。 さらに驚いたのは、道を走る自動車の量です。飛行機でマレーシアに降り立つ直前に見たあの綺麗なライトは車の渋滞のためでした。昼夜を問わず、至るところで渋滞が見受けられました。またクアラルンプール市内ではきらびやかなショッピングモールや高層オフィスビルが立ち並び、これらの光景はすべて私の想像とはかけ離れたものでした。
 しかし街を少し離れてみると、先ほどとは打って変わってあまり良いコンディションとは言い難い光景が広がっていました。道路はきちんと整備されておらずコンクリートの破片が散らばっていたり、道には横断歩道がなく毎回道路を横切るときは車の間を縫って渡らなければならず怖い思いをしたりしました。なんでもこの交通量の多さは、公共交通機関が正しく機能していないため、各々自家用車を買わなければならないせいだとか。しかし走っている車を見るとライトが破損していたり、大きくへこみ傷がある車が少なくありませんでした。道には等間隔に黄色の線が引かれており、少し山が作られている箇所がたくさんありました。マレーシアでは特に厳しく速度が定められていないため、スピードを出しすぎないためにこれらが設置されているそうです。<

また、フィールドワークへ行ったときに飲食店の方がわたしたちの目の前で川に余った食材や残飯を投げ入れている姿を見かけました。マレーシアは現在、中進国として位置づけられており、2020年までに先進国入りを目指す「VISION2020」を掲げています。これを達成するには、都市部だけの発展を考えるのでなく、国全体の生活やインフラ水準を上げ、人々の意識改革をする必要があるのではないかと思いました。

ホームステイでマレー生活を体験

マレーシアでは60%の人がイスラム教を信仰しています。そのため街では「ヒジャーブ」と呼ばれるスカーフを巻いている女性をよく見かけます。私はオーストラリア留学中、このようなイスラム教の方に接する機会があまりなかったため、とても新鮮な光景でした。
 マレーシアに来て一週間ほど経ち、生活に慣れてきたころに訪れたのが、市内からバスで2時間離れたホームステイビレッジ。都会を抜けて気がつけば車窓には田んぼの風景が無限に広がり、ヤシの木が立ち並ぶ村に到着しました。私のホストファミリーは、マレー語しか話さないマレー人の家族でした。唯一自由に操れる外国語である英語を使えずはじめは戸惑いましたが、身振り手振りと少しの単語でコミュニケーションをとることができました。ホームステイでは驚きの連続でした。家は木造建築で、もちろんエアコンはありません。食事にはピンクのシロップが水の代わりに出てきたり、スプーン、フォークは使わず手で食べたり。一緒に滞在したイスラム教の女の子に話を聞くと、彼女は二年前まではヒジャーブを巻いておらず、髪を染めてパーマをかけていたというのだから驚き。いまではおしゃれの一環として巻く人もおり、そのためヒジャーブの柄もとてもカラフルでファッショナブルなものが多いそうです。ホストマザーが外出時にヒジャーブを巻く姿はとても美しく見えました。実際に、村を訪れてその生活に染まることですっかりマレー人の生活に魅了されていました。

アジア留学とグローバル人材

留学の意義とは語学力の向上だけではありません。そのほかになにを体験し、なにを学ぶかということだと思います。私はオーストラリアに留学をしていましたが、その時学んだこととこの三週間マレーシアで学んだことは全く異なります。実際にマレーシアで現地の方々と触れ合わなければ、私のマレーシアに対するイメージは前述したように現実とはかけ離れたものであったでしょう。今の時代、パソコンの画面を通して多くの情報を得ることができるし、その地を訪れたような情景を見ることもできます。しかし、現地に足を踏み入れ、地域特有の匂いを嗅ぎ、人々と触れ合わなければ感じられないことがたくさんあります。この経験は自分の中の「引き出し」となり糧となることでしょう。
 最近どこからでも聞こえてくる「グローバル人材」というキーワード。就職活動をしている中でも幾度となく聞きました。しかしこのワードが示す本当の意味が腑に落ちないまま、私はマレーシアへと発ちました。三週間を経ていま、私が考えるグローバル人材とは、語学が堪能であることではなく、高学歴であることでもなく、「他者との違いを受け入れ共に歩もうとする姿勢をもった人物」です。
 上に述べたように、マレーシアでは多様な民族が共存しており、国が政策を講じながら平和を保っています。そのためマレーシア人の中には「他民族との言語、宗教、生活習慣の違い」を受け入れともにマレーシア人として生きていくという意識が根付いているように思います。日本では日本人が人口の大半を占めており、「日本人」と「その他外国人」というような見方をしている気がします。日本がよりグローバル化するには私たちひとりひとりの認識を変えていく必要があるでしょう。

また、同時に日本は他のアジア諸国からすると先進国として見られています。マレーシア人の友達はいつも私に”Japan is a dream country for us!!”と言っていました。確かに技術面やインフラ面では日本の方が進んでいるかもしれません。しかしだからといって、「日本はこうであるのに」といった見方で他のアジア諸国を見ていては、日本はいつまで経ってもそれ以上発展することができません。現に私は、建設中のリニアや高層ビルをクアラルンプールの街の至るところで見かけ、この街は数十年後、今とは全く異なる顔をしているのだろうと確信しました。この上昇志向の表れを私は日本であまり感じることがありませんでした。日本を中心として他国を見るのではなく、他国から長所を学び、それらを取り入れることがいまの日本に必要なことなのではないでしょうか。

私にとってこの三週間は毎日がとても新鮮で刺激的でした。与えられた部屋にアリが大量発生していたり、大学の授業の初日から乗るべきバスを間違え思わぬ行き先へと辿り着いたりとたくさんハプニングはありましたが、それらすべての経験が私の中の引き出しとなりました。私は四月から、社会人として働き始めます。多くの経験を積み、たくさん引き出しを持った、自分なりの「グローバル人材」になりたいです。このような貴重な体験をさせていただき、本当にありがとうございました。