派遣生レポート

刺激、刺激、刺激の毎日

慶應義塾大学 商学部 商学科 3年
井上孝一郎

あっという間の3週間だった。マレーシアで過ごした時間、得た経験、どれも貴重なものばかりで1日1日のことを鮮明に思い出すことができる。それほど充実したものだった。ここでは今回のプログラムを通して得たもの、感じたことを伝えたい。

なぜ私がこのプログラムに参加したかというと、「マレーシアという国を客観的に見ることができるチャンスである」と思ったからだ。バックパッカーとしてタイ、ベトナム、ミャンマー、ラオス、インドネシア、フィリピンと東南アジア諸国には何度も足を運んでいたが、マレーシアにはまだ行ったことがなかった。今までと同じように旅という形で訪れることもできるが、今回のプログラムのように、ホームステイ、大学での講義、企業訪問、学生との交流と様々な活動を通してマレーシアという1つの国を見ることができる機会に非常に魅力を感じた。また、将来海外、特に東アジア諸国との関わりを持てる仕事に就きたいと考えており、このプログラムに参加する他の学生の考えや、海外の学生はどのような考えを持って世界と関わろうとしているのか興味があったのだ。

前置きが長くなってしまったが、今回のプログラムを通して、1つ目にマレーシアそのものについて感じたこと、2つ目に各アクティビティを通して感じたことについて述べる。

マレーシアの印象を一言で表すとすれば「不思議な国」、単純だがこの言葉はぴったりだと思う。なぜ不思議に感じたか、それはこの国の民族構成によるものだ。マレーシア人といっても、大きく分けてマレー系、中国系、インド系と3つに分かれる(人口比率もこの順である)。3つの民族が同じ空間で生活している。これは日本でも考えられないし、他の東南アジア諸国と比べても異なる点だ。具体的にどう不思議なのか、それは実際に目にすることですぐにわかる。街を行きかう人は、私たちがイメージする東南アジア系の顔の人もいれば、中国系の顔の人、南アジア系の顔の人、と様々な人種が入り混じっている。そしてこれらのほとんどがマレーシア人なのである。大学で出会った学生も、中国系やインド系の人と思いきや、マレーシア人であった、などということは多々あった。このように異なる民族が同じ国に暮らすうえで必然的に大きな壁となるのは文化、特に言語だ。クアラルンプールの街を見渡せば、目にする文字はマレー語だけではなく、中国語(広東語)、英語とさまざま。国境の街では英語+2か国語という表記は見たことがあるが、一国の首都ではなかなか見ない光景だ。言語以外にも、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教と様々な宗教を信仰する人々が共存し、街にはモスク、ヒンドゥー寺院、仏教寺院と、とにかく多種多様なのだ。今まで感じたことのない不思議さ、神秘ささえ感じる。

そうした多様性のある社会に思うことは多々あるが、私は特に言語、それも英語の普及について一番驚いた。東南アジアの中でもシンガポールとマレーシアは英語が普及しているという話はもともと知っていた。旧イギリス領であった香港やミャンマーを訪れた際も英語が他のアジア諸国より(特に東アジアより)通じる印象を受けたが、マレーシアはそれ以上だった。首都クアラルンプールにおいては、小さな商店でもコンビニでも店員は英語で接客をしてくれる、東南アジアでは初めての経験であった。多様な民族が暮らすなかで互いにコミュニケーションを取るための共通言語として英語の果たす役割は大きいと感じた。私たちはどうだろう。能力の問題ではなく、英語を壁ととらえずいかに身近なものとして使えるか、ここが違いではないかと感じた。失礼になるかもしれないが、マレーシア人全員の発音がネイティブ並みにきれいということはない(もちろんうまい人もいるし、同じことは日本人にもいえる)。しかし、彼らは臆することなくコミュニケーションツールとして英語を使っていた。とにかく使うのだ。講義を受けさせてもらったIUKLの学生も出会った人は皆気兼ねなく英語を使っていた。自分と同じ学生と言えど、レベルの差を感じた。日本でも私たちは6年以上英語を勉強した。確かに単語や文法を取得し、文章も読むことができる。しかし、それ以外英語を実際に使う、すなわちアウトプットの機会があまりない。IUKLでお世話になったハロルドさんもしきりにいっていたが「とにかく実際に話すことが大切」だと痛感した。旅行先でのちょっとした英会話なら問題ないが、深く議論するときやプレゼンテーションをしたとき、いかに自分ができないかが分かった。この点で危機意識および次の目標が持てただけでも、かなり有意義なプログラムであったと思う。アメリカやイギリスで学んだわけではなく、同じアジアの一国で体験したことはより強いインパクトとなった。その点でも英語を学ぶうえでマレーシアという国の選択肢はかなり良いのではないかと感じた。

前述したIUKLでのプログラム以外にも、マレーシアを体験できるアクティビティとして、フィールドトリップ、企業訪問、ホームステイを行った。
 それぞれ、マレーシアの文化や歴史を理解するうえで非常に貴重な経験となったが、中でも特にホームステイが印象に残っている。私がお世話になった家庭は、英語があまり通じない家庭だという話をきいており、ホームステイが初めてということと相まってとても不安であった。しかし、実際にいってみると、英語というツールが十分に使えなくても、片言のマレー語、ジェスチャーを交えてコミュニケーションを図ることで、何かこれまでに感じたことのない複雑な感情を覚えた。伝えようとする気持ち、相手を理解しようとする気持ちがあれば思いは伝わるが、よりしっかりと伝えるためには言語を使いこなせるようにならなければいけないとも感じた。マレーシアの一家庭で時間を過ごせるということは、旅行をしているだけではなかなかできないことであり、手を使ってご飯を食べたり、マレーシア式のトイレ、シャワーを経験したりとマレーシアの一般的な生活を直に体験することができた。1日と少しという短い時間ではあったが、母親のノジラさんをはじめとした家族の方々と過ごした時間は忘れられない。

ホームステイ以外にも、IUKLの学生とともにマラッカやKLCCを訪れ、マレーシアの新旧の歴史を目にすることができた。マラッカではポルトガル領時代の街並みを見、KLCCではペトロナスツインタワーをはじめとした発展したマレーシアを見ることができた。現地の学生とともに回ることで、それぞれの場所で理解を深めることもできた。
今ではマレーシアの象徴ともいえるペトロナスツインタワーを見たときは、あまりの綺麗さと圧倒的な存在感にマレーシアの勢いを感じた。  各アクティビティを通して、歴史、文化、伝統的産業、経済状況、など多方面からマレーシアをみることができた。

既に記した通り、マレーシアでは多くを体験し、マレーシアそのものへの理解を深めるとともに、自分がこれから何をしていくべきか、という方向性を決めるきっかけともなった。これには講義をはじめとする各アクティビティが影響しているのはもちろんだが、現地で出会った学生や教授、一緒に参加した15人の学生たちからとても大きな刺激を受けた。特に一緒に参加したメンバーは、はじめて会うようなタイプの人から一緒にいて安心するような人まで本当に様々な人が集まっており、毎日がより刺激的に感じた。学年、学部、出身地、大学もバラバラでマレーシアに負けない? ほどの多様性にあふれたメンバーだった。自分も含めて16人の学生で3週間異国の地で過ごすということは一生に一回できるかどうかという体験であり、このメンバーと過ごすことができて本当に良かったと思う。

最後に、このような経験ができる機会を与えてくださったマレーシア政府観光局の方々、マレーシアで関わってくださった多くの方々、一緒に参加したメンバー、全ての方々に本当に感謝いたします。ありがとうございました。