[2014.07.16] 「マレーシア・トゥルーリー・アジア夏期学校」派遣学生候補決定!
[2014.10.27] 「マレーシア・トゥルーリー・アジア夏期学校」派遣学生レポート発表!
[2014.07.16] 「マレーシア・トゥルーリー・アジア夏期学校」派遣学生候補決定!
[2014.10.27] 「マレーシア・トゥルーリー・アジア夏期学校」派遣学生レポート発表!
長時間の飛行のせいなのか、それとも旅への興奮なのか、眠れない一夜を機内で過ごした後、私は約15年ぶりにマレーシアの地に降り立った。偶然にも、今回の宿泊先が15年前に滞在したホテルの目と鼻の先であった。道中の風景を目にし、妙な懐かしさを感じながら、この3週間を過ごした。飛行機の窓から見えた油ヤシの森、そしてその中に張り巡らされたハイウェイ、「変わってないな」それが、私がマレーシアの地を踏んで最初に思った感想だ。しかし、幼い頃に目にしたマレーシアと、大人になった私の目で見るマレーシアでは、見えてくるものも、感じるものも変わってくる。そういう意味では、15年という月日が経過したことに驚きを感じ続ける毎日であったと思う。しかし、長い年月が経っても、マレーシアの人々の温かさは昔と何も変わっていなかった。今回の夏季学校では、現地の大学IUKL(Infrastructure University Kuala Lumpur)での授業を中心に、ホームステイやフィールドトリップ、そして企業訪問を通して、マレーシアの文化、社会に直に触れることができた。そこで学べたことを、このレポートに記す。
私は大学で、東南アジアの貧困や不平等問題、異文化理解、そして「投資」というお金の使い方について学んでいる。3年間専攻してきた以上、それらの分野においてはかなりの自信を持っていた。しかし、私には実際に現地に足を運び、そこにいる人々と触れ合うという経験が圧倒的に不足していた。「現地の人と話してみたい! 実際に見てみたい!」この気持ちが、私がマレーシア夏季学校に参加した理由の一つである。もう一つは、今後マレーシアを投資先として選ぶ以上、どんな人が働いて、どんなモノを生産しているのかを、自分の目で見極めるべきだと考えたからだ。今の時代、必要な情報のほとんどがインターネットで手に入る。もちろん、アンテナを張っている以上、マレーシアの経済・成長性・将来性の高さは十分理解していた。しかし、自分で築いた財産を預ける国・企業を、卓上にあるものだけで判断するのは早計であると私は考えている。「海外を見てみたい」「広い視野を持たなければ」様々な想いが重なり、このプログラムに応募することになった。
まず参加してみて思ったことは、言葉の壁は意外に低いということだ。なぜなら、中学1年の英語で一度挫折した経験を持つ私の語学力であっても、議論は難しかったが、現地の人と日常的な会話なら問題なくこなせたからだ。考えてみれば、英語なんてただの『言葉』である。やれば誰でもできるだろう。むしろやってこなかった自分に後悔した。そして、一緒に参加した日本人学生の語学レベルの高さにはとても驚いた。今回参加した日本人学生のほとんどが、大学2年生と3年生で、中にはすでに留学経験がある人やこれから留学を計画している学生もいた。そんな彼らを素直に尊敬できたし、彼らを見て感じたプレッシャーは、今後自分に必要なことを気づかせてくれる良いきっかけになったと思う。また、現地の学生の能力の高さにも驚いた。英語を使いこなすのは当たり前、そして見学した学生の発明品の発表イベントでは、「これが日本にあれば!」と思う発明品がたくさんあった。10年後、グローバル化した社会で彼らと競い合うことになるかもしれない。そう考えるだけで胸が高鳴ったのと同時に、このままではマズイと焦りも感じていた。
マレーシアは、「東南アジアの優等生」と呼ばれており、ここ20年における1年あたりの平均成長率は6%を超え、東南アジアの中でも安定した経済成長を遂げてきた。また、国民総所得を2倍以上に引き上げ、2020年には先進国入りを果たすことを目標としており、今後も発展が期待できる国だ。そして、「イスラム金融」の中でも高い地位を確立しているマレーシアは、中東のオイルマネーが集まる拠点であると共に、中華系も多いことから、チャイナマネーも集まりやすくなっている。実際に街なかの銀行を見てみると、名前に漢字が使われている銀行が多かった。おそらく中華系の銀行だろう。そして、国家間での共同プロジェクト・貿易などを多く行っており、隣国の先進国であるシンガポールと、その他の先進国からの投資が多く、国が成長する上で重要な、海外投資マネーが継続的に入ってきている。その証拠に、見学させていただいたSepang International Circuitでは多くの外国産のGTマシンが爆音を鳴らしながらサーキットを走り抜けていた。もちろん日本産の車もあり、また移動の際には、ハイウェイの看板に多くの日系企業の名前を目にした。「発展途上国のマレーシア」その印象を改める必要性をその時感じた。もし日本で資料を眺めるだけで実際に来ていなかったら、そんな考えにもならなかったと思う。
出発から約1週間後、私たちはマレーシア夏季学校のプログラムで、ホームステイに参加し、そこで現地の遊びや伝統の楽器、工芸、食文化を体験した。場所はクアラルンプールからバスで約2時間、ヌグリ・スンビラン州にあるKampung Lonekという小さなホームステイ村だ。Kampungとはマレー語で「田舎・故郷」を意味する言葉で、このLonekという村は、その言葉に相応しい美しさと、長閑さを持つ村だった。バスを降りた瞬間、クアラルンプールと異なる風景を目にして、マレーシアに来て始めて、それまで興奮と驚きの連続であったのに対し、心から落ち着けたのを覚えている。そして、歓迎のセレモニーを終え、ステイ先のお宅で私たちを待っていたのは、ホストファミリーの「Makan!(食べて!)」という歓迎の声と、大量のスパイシーな料理であった。落ち着いていたのも束の間、私は覚悟を決めた。なぜなら私は、カレーは甘口、寿司はサビ抜きしか口にできないほど、辛い食べ物が苦手だからだ。しかし、初対面の私たちに食事を用意してくれている。それだけでおもてなしの心が伝わってきた。これは食べるしかない。そしてもう一つ、テーブルにはフォーク・スプーンの類が一切置かれていなかった。私はもう一度覚悟を決めた。ちなみに、私たちがお世話になったホストファミリーは、マレー語しか話せない方々だったので、通訳として、IUKLの学部長が同行してくれたが、それでもコミュニケーションをとるのが非常に難しかった。相手の話している意味を、その状況や雰囲気から類推する。それしか方法がなかったので、周りの会話には本当に集中した。その分、マレー語のスキルを向上させることができたと思う。語学力に自身が持てなかった私には思わぬ収穫だった。
このホームステイ、1泊2日という短い時間だったが、私の中での異文化に対する受け皿を大きく変える出来事だったと思う。例えば、イスラム教徒の手食文化だ。以前からマレーシアは手食文化のある国だというのは知っていたし、資料で目にしたこともあった。だが正直な話、手食文化に対して悪い印象は持っていなかったが、良い印象も持っていなかった。しかし、「見る」のと「やる」のでは当然感じるものが違う。まずやってみて、最初に「意外と食べやすいぞ」と思い、次に「食器棚の箸と洗ったばかりの手なら、どちらがきれいだ?」と考え、最後に「ウチの食器棚、掃除したのいつだっけ?」と現実を突きつけられた。しかし冷静に考えてみると、どんな文化や風習にも必ず意味があり、続けられてきた分の歴史が詰まっている。マレーシアのLonekで、郷に従う生活を送ることで、異なる文化を「自分たちとは違う」と終わらせてしまうのではなく、「そういうのもあるのか」と、受け入れることができるようになったと思う。
そして帰国予定日の2日前、私の希望で、現地の学生にプログラムとは別に、孤児院に連れて行ってもらった。場所はクアラルンプールから車で1時間の郊外、施設の名前はDesa Amal Jirehという孤児院だ。急な話であったため、15分という限られた時間での見学だったが、その中でもマレーシア社会に未だ根付いている問題を感じ取ることができた。施設で暮らす子供たちを眺めていて、気づいたことがある。どの子もマレー系やインド系の子供たちで、中華系の子供がほとんどいなかった。職員の方に尋ねてみると、中華系との間にまだ経済格差が残っているからだと答えてくれた。おそらく「ブミプトラ政策」の影響だろう。暮らしている子供の中には、病気のため他の子とは隔離され部屋から自由に出入りできない子供もいた。その子は見た目の印象では4歳ぐらいに見えたが、実際は8歳だという。その年齢に見えないほど小柄で痩せている子だった。生まれてから施設に入るまでの間、十分な食事が与えられない暮らしだったのかもしれない。正直、辛すぎて写真に収めることができなかった。中には、見学後に厳しいコメントを他の学生に対して出す学生もいた。 マレーシアに到着してから、KLCCやツインタワーなど、マレーシアの華やかさを多く目にしてきたためか、日本人学生それぞれに何か感じるものがあっただろう。しかし、マレーシアではこうした経済格差、貧困問題に対する関心は日本よりも高いように思える。なぜなら、マレーシアでは国を挙げて教育に対して力を入れているからだ。例えば、国家予算の20%が教育費に充てられている。日本の場合は5%だ。そして、たとえ孤児であっても、奨学金を得て大学に進学することができるようになっている。そのため孤児院では英語はもちろん、数学、理科、社会、歴史など、一般的な教育も行われている。Desa Amal Jirehで出会った子供たちには、数多くの問題が残されてはいるものの、将来に希望が持てるよう国を挙げて教育システムが整えられているようだ。少子高齢化が進む日本では、介護費や年金が重要視されてしまいがちだが、次の世代のために、マレーシアからこそ学ぶべきことがあるのではないだろうか?そう考える時間でもあった。
このレポートを読んだ学生で、まだ海外に行ったことがない方がいれば、是非卒業までに自分の目で見てきて欲しい。様々な不安があると思うが、大切なのは語学や経験よりも、好奇心と丈夫な胃袋だけだと今の私は思っている。そう思えるだけの強くなれたことが、この3週間の成果である。最後に、この機会を与えてくださったマレーシア政府観光局と関係者の方々、お世話になったIUKLの先生方と学生の皆様、そして3週間共に過ごした日本人学生の皆様に、この場を借りて心よりお礼申し上げます。皆様のおかげで、私はこれからの目標、今の自分に足りないモノ、そして知らない世界に飛び込んで行ける強さを手に入れることができました。いつの日か海を越えてお会いしたいと思います。本当にありがとうございました。