派遣生レポート

LOOK JAPAN FROM MALAYSIA

東洋大学 経営学部 経営学科 2年
芳賀潤平

8月26日早朝、クアラルンプール国際空港に到着した。これから20日間滞在する寮へ向かう道には、パームツリーが一面に広がっていた。「やはりまだ開発途中だな……」。最初に受けた印象は、私が抱いていた東南アジアのイメージそのものだった。しかし、首都クアラルンプールに到着すると、そんなイメージは覆された。そこには多くの高層ビルや建物が並んでおり、超高層ビルであるペトロナスツインタワーや電波塔であるKLタワーを中心に街はもちろん人々も活気に溢れていた。もっと遅れた地域だと思っていたが、予想以上に開発が進んでいた。また、多くの観光地を有しており外国人観光客も各国からの留学生も多く見られた。

そもそも、私が今回マレーシアへの留学を決めた理由は二つある。初めに、私の将来の夢はまだ漠然としているが「世界で活躍できるビジネスマンになること」である。グローバル人材になろうと決めた理由とは、少子高齢化で日本の人口が減るなか他国の人口は増加していること、つまりこれは国内市場の規模が限界を迎え海外市場でのビジネスが求められることを意味しているからである。このことを深く考えると、自身をグローバル化することは必要不可欠であると感じたからだ。また、私はグローバルな人材とは単に語学に優れている人物だとは考えない。多くの人と会話し自らの見識を広げることができる人物こそがグローバル人材なのではないか。このマレーシア夏期学校プログラムは留学先であるInfrastructure University Kuala Lumpur(IUKL)での講義だけでなく、マラッカへのフィールドトリップなど多くの人と触れ合うチャンスを含んでいるものであったため、私にとってこの留学は夢の実現への一歩であると感じ応募を決意した。

二つ目に、次世代の人口増加率は圧倒的にアジアがナンバーワンであり、その経済成長率もアジアが圧倒的だからだ。人がいる場所には必ず需要が生まれる。そのため、今回アジアの中心国であるマレーシアへの留学は絶好の機会であった。なぜなら、私が世界でビジネスをする際にアジアへの理解が深いことは大きな強みになるからである。最後に、イスラム教徒が多いマレーシアへの留学を選んだ理由が一つある。現在多くの国で宗教紛争が起こっている。マレーシアは多民族国家であるためイスラム教、ヒンドゥー教など多くの宗教や文化を有しているにもかかわらず、宗教紛争などは見られない。その理由に興味を持ったのだ。

また、経営学部で勉強している内に、多くの日本企業がマレーシアへ進出していることを知り興味を持った。しかし、この留学に申し込むまでマレーシアがどんな国なのか、はっきりとした情報はあまり持っていなかった。日本外務省の海外在留邦人数調査統計(2013)によるとマレーシアの在留邦人数は年々増加している。しかし、その理由も知らなかった。それでもこの留学を終えマレーシアについて多くを知り、たくさんの経験をすることができたのでそれらをここに紹介していく。

語学と教育

マレーシアで様々な人々と会話していて最も驚いたことは、現地の人々の「語学力」である。マレーシアの人口はマレー系6割、中華系3割、インド系1割で構成されておりそのミックスも多数存在するため母語以外の言語に触れる機会は圧倒的に多い。またマレーシアの英語教育は大変発達しており、6歳ですでに英語に触れているというのだ。そのため、現地の大人、学生、子供を見てもバイリンガルやトリリンガルであるケースが非常に多い。ましてそのトリリンガルには英語と中国語が含まれていることが多いので、彼らは世界中のどこを歩いてもほぼ誰とでも会話ができるのだと感じた。実際に私が街で買い物をしていて、英語ができない店員は見当たらなかった。大きなショッピングモールはもちろん、小さな屋台の店員でさえ英語が話せるのである。街の中を歩いているだけで語学における日本との差を感じた。
 また、私たちはセランゴールにある孤児院を訪れた。そこで小さな男の子たちがサッカーをしていたので私も一緒に入れてもらうと、”Where are you from?”“You play well.”と英語で話しかけてくるのだ。なんと12歳の孤児院にいる少年が第2言語で外国人に話しかけるのだ。日本の小学生は英語で外国人に話すことができるかと考えると、これはマレーシアの驚くべき教育の質の高さを意味している。
 寮からバスでしばらく行ったネグリセンビランにあるホームステイ村へ、私たちは1泊2日という短い間だったがホームステイをさせて頂いた。ホストファミリーは英語を話すことはできず、マレー語のみで話しかけてくるのだ。ホームステイで言語の壁にぶち当たるとは正直予想もしていなかった。しかしそれでも彼らはマレー語で話しかけ続けてきてくれたため、私もジェスチャーを混ぜながら何とか意思を伝えることができていた。お互いに言葉の通じない人々と話すことは人生において初めての機会であり、それは私にとって意思を伝えるのは言葉だけではないと感じた初めての機会でもあった。また、イスラム教の家庭であったので初めて手づかみで夕食を取った。イスラムの礼拝などを目で見たことはあったが、そういった宗教を手で触って肌で感じることはなかなか体験することができないのでとても貴重な体験であった。

マレーシアから見た「日本」

20日間滞在していて感じたことは、マレーシアは確実に先進国の足元まで来ているということである。クアラルンプール市内を見ていても、毎日建物が建設中で進化を止めない。大きなショッピングモールの中をのぞくと、そこにはラグジュアリーショップから一般向けのショップまで日本と比べなんら遜色ない。雄大な自然を生かした観光地だって大きな武器の一つだ。だがなによりも、私が最も素晴らしいと感じたのは「寛容性」についてである。彼らは多民族国家ということもあり、一つの器にいくつかの種族が存在することに慣れている。そのため、宗教紛争が起こることもない。また、マハティール元首相の「ルックイースト政策」により彼らは日本に規範を求め、日本へ近づこうとした。そのため彼らは非常に親日的である。実際に私が街でタクシーに乗っても、留学先であるIUKLのキャンパス内を歩いていても、話しかけられて「日本人」と答えると会話は弾んだ。誰しもが日本について興味を持ち、より詳しい質問を投げかけてくる。そうした人々の目は輝いていて、「いつか日本に行きたい」と誰もが最後には言っていた。日本の本屋で棚に並ぶ書籍には日本の危機を伝えるものが多い中で、日本人は下を向きすぎている。電車の中では多くのサラリーマンが目の力を失っている。けれども、マレーシアから見た「日本」は憧れの対象であり、国家としての目標であるのだ。これはマレーシアに来ていなかったら絶対に気づかないだろう事実であり、日本人はもっと誇りと自信を持つべきである。私も今後日本人であることを誇りに思い、新たな視点で母国と向き合っていきたい。

ある日、IUKLでのビジネスの授業を終えると、教授が私たちをディナーに招待してくれた。彼は日本に対して非常に好意的であり仕事でも足を運ぶらしく、日本について多くを知っていた。「日本の良いところとは、Discipline(規律)とCleanness(清潔)だ。日本人の学生は授業5分前には着席しているし、そのような態度はビジネスにも確実に通ずるだろう。しかし、マレーシア人にはそれらが足りていない。そのため、マレーシアが先進国になるのはもう何年か先かな。」と彼は食事を取りながら言っていた。しかし、私は彼の意見が少しだけ間違っていると感じた。なぜなら、マレーシアには意欲の高い学生がいて、先進国に仲間入りしようと必死な大人がいるからである。そんな彼らを見ていて、日本はもっと技術と製品だけでなく日本特有の精神や考え方も輸出すべきだとも感じた。それはグローバル化が進む世界の中でも、なお閉鎖的な部分が多く残る日本がマレーシアから「寛容性」を輸入する機会に繋がると私は考える。

~ホームステイ体験~

最後に、この留学を終え私は自身の可能性を広げることができたと感じている。このマレーシア夏期学校は多くの経験を与えてくれた場であったし、多くの人に出会い、多くの話を聞き、多くのことを学ぶことができた。今後も自身の可能性を探求し続け、進化を止めることのない自分でありたい。そして最後に、この留学を通して出会ったすべての人々にこの場を借りて感謝したい。Terima Kasih(ありがとう)