参加学生レポート

他文化との共生ということ

山形大学 医学部 医学学科 2年
菅原 陽子

<国自体をも包み込むような熱気を体感>

彩豊かな寺院の建物の色と花の色がよく映える

今回マレーシアの地に足を初めて踏み入れ、十日間過ごした後に第一に感じたのは、日本という国は老けているのだという実感である。私たちは非常に発達した社会の中で守られて生きているということに痛切に思い至ったのだが、それは同時に人々の情熱を鎮静化させ老成させているようだなと感じたのである。
 私が今回この研修に応募し、参加した理由は活気をこの身に感じてみたいという意識が大きい。
 私が生まれたのは1995年の12月で、ちょうど阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件が起きた年である。義務教育期間はちょうどゆとり教育が始まり、終わった期間にどっぷりとはまり込んでいた。そのようなときに育った私には、日本を盛り上げようと努力した先人たちが作り上げた『すでにできあがった日本』の中で、守られて育ってきたのだという思いがある。普段実感することができない部分を、現在発展途上であるマレーシアに行って見て学習することで、客観性をもった視点で日本を見たいと思った。成長過程における国の、国自体をも包み込むような熱気を体感し、日本の中でこれから生きていくにしても、グローバルな世界へと飛び立ちたくなるような焦燥感が手に入るのではないかとも感じた。
 医師になるという私の夢をかなえるためには、地方国立医大に通い、6年間120人程度の数少ない学友と学習していくという、ある意味では最も閉鎖された空間に置かれて過ごすことが必須となる。家族と離れて海外という開けた地へと発つのは初めてだったので、6年間をそうして生きたのちにも世界へと目を向け続けて行くための試金石のような経験になりうると確信を持てた。
 前置きが長くなってしまったが、これからいくつかの区分に分けてマレーシアで感じた諸々の物事を振り返っていこうと思う。

<ペナンの同世代の学生達>

マレーシアで盛んなスポーツ、バドミントンのラケットを持って
 今回の研修は、ペナンにある大学が私たち学生のために学習プログラムを組んでくれていて、最後に一泊二日のホームステイを体験するというものであった。
 まず、同世代の学生たちについて話していきたい。彼らは普段の授業を英語で受けているため、英語を話すときの抵抗感が存在しないように感じた。私は日本の英語教育をそれなりにしっかり受けてきたように思っていたのだが、いざ話そうとすると語彙力不足が否めず、つかえずに話すことができなかった。正しい文法を知っていることと、言いたいことを英語で即座に相手まで届けることには隔たりがあることを痛感したが、彼らは『自分たちは普段から使っているから』ととても寛容であったことを記憶している。
 彼らは非常に意欲的に自分の人生を決定していて、自分が将来何をするのか、ということに明確なビジョンを持っていることが非常に印象的だった。

<多様な言語・宗教・文化>

ジョージタウンにあった看板
 我々が普段日本で暮らすうえでは、異国の人とかかわることはほぼないといってよく、日本語しか話せなくても大した問題は起こらない。だが、そうしたことによって日本の島国性は生まれているのだろう。
 一方マレーシアは、マレー系の人々、インド系の人々、中華系の人々などが混ざり合って暮らしている人種のるつぼと呼べるような国であるために、英語とマレー語を話せることは意思疎通を図り、さらにはアイデンティティを保つ上で重要なことなのだろう。
 こうした特色は宗教的な建造物にも見られた。ペナンには仏教的な寺院や、キリスト教的な聖堂、イスラム系のムスクが近いところに混在しているのである。異教同士の共存があっさりとなされているのも、多くの人種が共存するために生まれた一種の寛容性なのだろうと推測する。寺院も含め、日本と違って目の覚めるような色使いが豪奢で、ペナンの青空だからこそ映えるものであるだろうなと感じた。寺院やムスクは自然との調和もとられていて、山に隣接した形で豪華な寺院が建っている姿は本当に美しかった。
 もちろん食文化も中華系の料理や、中華とマレー料理が融合したニョニャ料理、インド風なカレーなどといった様々な種類があり、スパイシーなものが多いとはいえそれぞれ明確な違いが楽しめた。屋台風な店は夜遅くまであいていて、そのためかどうかは分からないが、ペナンの町は夜遅くまで人が多く、活気があった。

<ペナンの街の様子>

ウォールアートのカンフーパンダ
 街の様子についてだが、信号や横断歩道がないので通行人が道を渡ることを手で意思表示して渡らなければならないことには驚いた。バスも、時刻表が決まっておらず、たまたま停留所に来たものに無料で乗るシステムであり、スピードも非常に速いので違う乗り物のように感じた。マレーシアの人々は少し時間の感覚がルーズなようだったので、その国民性が顕著に表れているように思った。
 途中何度か通りかかった高級住宅街には日本語での表記も見られた。また、高級住宅街には日本人が多く住んでいると説明されたことから、やはり物価が安いのでリタイア後に移住する人々もいるということだなと感じた。
 ウォールアートを見ることも幾度かあり、こうしたものは日本では全く見られないのでとても興味を引かれた。大きな壁画アートに加え、太い黒い針金で作られたアイアンアートは町の壁の至るところに見られ、どこからとなく人々の生活が伝わってくるような気がしてノスタルジックな気分になった。

<ペナンの日本企業で感じた事>

ゴールドミュージアムのチケット、金鉱の再現のクオリティが高かった
 日本企業が土地代や人件費、グローバルな観点から見た貿易上の交通の便から、マレーシアに工場を構えて現地の人々を雇い、共に働いている例もある。五日目に、東レグループのペナン支部の工場の方々から、ペナンにおける東レの営業実績や業務の内容を大まかに教えていただくことができ、工場見学をさせていただく機会があった。
 その中で印象に強く焼き付いたことは、マレーシア人の働くことへの熱意についてであった。
 あるときから彼らは、業務時間外に特に指示もしていないのに、営業に行くときに顧客に提示して製品の強さを一目瞭然にアピールできるように、動画を作成しだしたそうである。そういった発想は日本人のなかにはなく、驚いたとおっしゃっていた。また、そこの工場に出稼ぎに来ている外国人の中には、英語を話せない人もいるらしく、そういった人にはその人と言葉の通じる従業員に通訳に入ってもらうことによって業務内容を伝えることにしている、とこともなげに話していらした。現地で働くにあたって東レでは、マレーシアらしい他民族に寛容な臨機応変さを一丸となって発揮しているように感じられた。

<親日的な人々>

模擬結婚式場で出会った外国人の男の子と、今でもメッセンジャーで会話している
 マレーシアの学生たちや、屋台のお店の人々は、日本人が来ることが多いというのもあってか、いくつかの日本語のフレーズを使って話しかけてくれることが多かった。知っている日本語を使ってわざわざ話しかけてくるという積極性に感銘をうけたが、それよりも、いくら数少ないワードではあるとしてもわずか人口一億数千人に過ぎない、汎用性もほぼないといってもいい島国の言葉を記憶に留めてくれているという日本への意識へのありがたさを実感した。現に私は逆の立場であったら、マレー語を話せないし彼らに話しかけることも躊躇したであろう。

<終わりに>
 最後に総括として考えたことを書いていく。それは、我々がマレーシアから学んでいけることは多いであろうということである。例えば、私たち学生にできる限り多くのマレーシア文化を体験させようと、毎日その日の日程が終わった後にもどこかへ連れて行こうとしてくれた心遣いには頭が下がった。こうした他人への思いやりや他人へかける情熱を、現代の日本人は「おもてなし」と言って私たち特有のものであるかのように自称しつつも、実は失いつつあるのではないか。老成し、出来上がった規範のなかで暮らしていくうちに、他への興味を失ってしまったのではないか、と考えた。
また、コスプレやアニメ文化を、日本文化の象徴として強く捉えられすぎているようにも感じた。これは、悪いことではないと思うが、日本で素晴らしいのはそれだけではないのである。
私たちは、日本文化を自身があまりよく分かっていない節がある。自分たち自身が理解して正しく発信することによってこそ、グローバル社会化が進み、地球全体が一つの村のようになっていく未来があったとしても、日本が個性を発揮し続けることができるのだと考える。
 あとは、異なる存在への寛容性である。国籍も話す母国語も違う、持つ文化も違う人々が混ざり合って暮らすマレーシアの中で特にこれを強く実感した。彼らはお互いへの興味を絶やさず、理解しあったうえで尊重しあい調和している。
 我々のなかに、異なるものを排除する、といった気質をまったく持たないと胸を張って言える者がいるだろうか。グローバル社会に参入していく、ということは異質なもの同士の中で個を主張しつつもかき乱さずに調和をとっていくことと同義であるだろう。そのためにはまず、日本人としてのアイデンティティや、他への興味、積極性を個々人が養っていかねばならないだろう。
 一歩海外へ踏み出すだけで、自分の目指す医師像に近づき、グローバルな視点を持った日本人医師として働いていくためには、これだけの課題があるということを実感した。 ただただ机上の空論で海外について調べて知った気になることと、実際に足を踏み入れ空気を体感して人々と触れ合うことは大きく異なっている。私が自分の不足分を実感するのに至るまでには、マレーシアで出会い、触れ合った数多くの人々は誰一人として欠かせなかった。この経験を無駄にせず、これから必要だと考えたことを肝に銘じてこれからの生活を送っていきたい。
 こうした機会を与えてくださった人々や、現地でであった友人たち、手厚く出迎えてくださったカレッジの人々には心からの謝意を伝えたい。本当にありがとうございました。


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