参加学生レポート

ペナン春期学校レポート

帯広畜産大学 畜産学部 共同獣医学課程 4年
直井 麻里奈

<なぜ私がペナン春期学校に?>

1879年築のタウンホール

私は将来、公衆衛生獣医師として伝染病コントロールに携わる仕事に就きたいと考えている。航空機の普及に伴い感染症の発生が国内の問題だけでなくなった昨今、日本を感染症から守るためには日々の検査・予防対策の実施と、海外諸国との規律の制定や検疫の徹底が必要である。海外、特に貿易国と日本を繋ぐ代表として関係性を築くことが求められることになるので、獣医学を学ぶと同時に英語力を高めたい、学生のうちに日本の主要な貿易国がそれぞれどのような文化・歴史を持っているのかを、生きた知識・経験として身につけておきたい、と考えていた。
 それが今回、主要貿易国の1つであり、日本とも関係の深いマレーシアにて行われる本プログラムに応募したきっかけとなった。

1日目に見た極楽寺
 プログラムを終えた今、全日程を振り返ると、当初の目的である“マレーシアについて知ること、は勿論、自分の想像していなかった多方面で良い影響・刺激を受けた10日間であった。
 このレポートでは、私がマレーシア、特に研修先であったペナン島について学び、感じた様々なことについて記そうと思う。 また、直接今回のプログラムとは関係がないのだが、獣医学生として畜産や公衆衛生方面で気づいた点と、自分なりに考察した点も合わせて述べていきたい。

<マレーシアの多様な文化>

ジョージタウンで見つけた日本のよさこい祭りの広告
 “Street of harmony”、ペナン島にあるジョージタウンを案内していただいた時に最も印象に残った道の名前である。1つの通りに4つの異なる宗教に基づいた建造物があるので、こう呼ばれるようになったそうだ。まさに多民族が共存するマレーシアの象徴のような通りである。
 日本出発前は1つの国家内に複数の宗教や人種が共存しているとはどういうことで、どうしてそれが成り立っているのか、と不思議に感じていたが、現地の人達と交流していく中でその疑問に対するリアルな答えがいくつか、暮らし方の中に見えてきたように思う。

ジョージタウンのChinese shop house
 まず街を歩いている際、ジョージタウン内でも人種や宗教ごとに小さなコミュニティーが形成されており、各コミュニティー内に軸となるアイデンティティがしっかりある、ということに気付いた。持ち込まれた文化がきちんと継承されているのである。
 加えて、元からあったマレー文化、持ち込まれた外来文化双方が影響しあい部分的にアレンジされ、マレーシア国内で独特の文化が形成されているという点がとても印象的だった。異文化に柔軟に適応してきた証であると思う。
 また、共用語としてほとんどの人が英語を使えるということも、コミュニケーションが図りやすくなるという点で間違いなく多文化の共存に大きく貢献していると考える。

 マレーシアでは、たくさんの人が多彩な言語を使いこなしていることにも驚いたが、英語力が皆高いことに感嘆した。OLYMPIA COLLEGEで英語の授業を体験したのだが、ライティングとリスニングと同じ位スピーキングが重視されており、また英語の仕組みを基礎から理解し、言語として本当に使いこなせるようになれるまで学習できる実践的な内容であった。マレーシアが留学先として押される理由の1つが分かった。

ペナンヒル頂上にあったモスク
 更に、ペナン島ではマイノリティーの人達でも自分達の文化で堂々と暮らせる雰囲気があった。街中にMr. KarpalsinghやMr. James Organ.の名前が刻まれたモニュメントや建物があったが、彼らを始めとする先人達がマレーシア移住後、地位向上のため多大な努力をした成果が大きいからだろう。
 しかしながらこの努力の成果が表れたとは言っても、現在でもマジョリティーとマイノリティーとでは仕事や収入・暮らしに格差があり、そのことに関して摩擦が生じているという話を聞いた。2020年までに先進国入りを目指すマレーシア政府が、One Malaysiaのスローガンの元どこまでこの格差を縮められるのか、今後の動向にも注目したい。

<世界遺産ジョージタウンにて>

ホームステイ先に行く前に立寄ったお寺
 今回私達が滞在したペナン島のジョージタウンは、2008年にユネスコ世界遺産に登録されており、Chinese shop houseやモスク、寺院や教会など、街のあちこちにある歴史的建造物がオリジナルのまま補強や改修、もしくは現代風にリフォームされた状態で保存されていた。
 海岸沿いにあるジョージタウンは建物が海水の影響を受けやすく、塗料の選択を的確にして綿密に定められた方法で補強しなくてはいけないそうだ。手間暇かけてまで保存する理由として、建物にはその時代ごとの様々な文化や人々の生き様・思いが集積しており、建物を残すことがそれらの歴史を残すことにもなるからだということだった。
 ペナン島では、同様の理由から建物のみならず、竹細工や郵便受け等、伝統技術の継承にも力をいれていた。
 現地の人達の手によって大切に守られた歴史ある古いものと、現代的で利便性の高い新しいものが共存するジョージタウンの在り方は、世界遺産としてのネームバリューを差し引いても“街”のあり方の1つのモデルケースとして大変貴重なものであると感じた。

<私が感じた国民性~日本との違い~>

広場にChinese Festivalの跡が残っていた
  マレーシアの人達は、様々な面で他のコミュニティーの習慣や文化などについての知識を持ち、互いに許容しあっていたように思う。例を挙げると、私達がペナン島に行った時は中国のNEW YEARS festivalが終わった後だったが、中国系でない人も皆この祭りは楽しむのだ、とマレー系の学生が話してくれた。人々は文化や人種の垣根を超えて、楽しいことを共用していた。
もう一つ強く印象に残ったこととして、人々の他者への姿勢がある。
 マレーシアの人々は非常にホスピタリティーに富んでいたように思う。今回日本人と接するのは初めてという人達が多い中で、私達の行いや振る舞い、考え方を寛大に許容してくれたし、日本人がどのように暮らしているのかを探求しそれを還元してくれようとする姿勢を、全日程を通して非常に強く感じることができた。
 また、コミュニケーションを取る時に言語は時として必要でなく、本当に大事なのは心を通わせよう、相手に伝えようとする気持ちである、ということを体感した。
マレーシアの人達の根底にあった思いやり、自分と全く異なる背景を持つ人へ接する姿勢は、人間としてとても尊敬できるものであり、私も見習わなければと思った。と同時に、研修中 に触れたこの他者への思いやり・理解・おおらかさこそが、互いに許容し認め合うことにつながり、結果的に多種多様な文化・人種の人達が共存できる国を作り上げる根源となっているのではないか、と感じた。

<まとめ>

ホームステイ先の子供たちと
 以上のように、全プログラムを通して多様な文化や歴史を色濃く感じた日々であったが、自分と異なる言語や文化を持つ他者と共存する秘訣があらゆる所で見えた。これらはグローバル人材として他国の人と交流する時は勿論、同じようなバックグラウンドを持つ日本人同士で関わる中でも応用できることだと思う。
 獣医師としてだけでなく、一社会人として、日本人として自分がどのように他者に対し振る舞うべきかを、もう一度よく考えようと強く感じた十日間であった。

<畜産・公衆衛生方面で気づいたこと>
 まず畜産について記したい。ペナンは製造業が盛んということもあり工業施設が発展している。そのためか、今回訪れた場所で酪農が行われている所はなかった。 聞けば、マレーシア全体で経済優先措置により製造業が優遇されていて、そこに熱帯宇雨林気候も相まって酪農自体あまり盛んでないそうだ。つまり酪農品の供給は大きく輸入に頼っているということだ。私は現地の人の話しぶりから、今後さらにマレーシア全体で品質の高い乳製品や酪農品の需要が増えると考えている。
 例えばペナン島にはお洒落なカフェがたくさんあったが、どれもここ2~3年で新しくできた店舗だと教えてもらった。それらカフェでは乳製品を用いたスイーツがとりそろえられており、味や造形にこだわった品質の良い物を取り扱っていた。デパートやレストランを見ていても、日本や他の東南アジアの国々と同様に少し値段が高くても付加価値がついたものを求める人が増えてきている様が感じられた。
 日本の酪農品は質の高さで定評があり、コスト削減等クリアできればアジア諸国にも更に広く広まると期待している。TPPが締約された暁には、様々な日本産の酪農品の輸出先としてマレーシアは更に大きな注目を浴びることになると思う。



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