参加学生レポート

関西外国語大学
外国語学部英米語学科3年 幸地 茜

<知っているつもりだったマレーシア>

 これを読んでくださっている方はどれくらいマレーシアのことをご存知だろうか?
 大学1年生の夏季休暇中、友人と旅行でクアラルンプールに訪れた際に、高度経済成長目覚ましい現実にショックを受けことをきっかけに、同年、冬季休暇中に現地IT企業のインターンシップを経験した。マレーシアでの留学や就職を視野にいれて大学生活を過ごしてきた私は、ある程度マレーシアのことを知っているつもりだったが、ペナン春期学校への参加は、私の知識は氷山の一角に過ぎなかったと痛感させてくれた。それによって私のマレーシアに対する好奇心は一層高まった。

<初めてのペナン>

 ペナンに足を踏み入れるのは今回が初めてのことであった。ペナンの人々は私を暖かく笑顔で迎え入れてくれた。だが、プログラムの最初に「ペナンは誰もが必ずまた戻って来たくなる場所である。」と説明を受けたが、その時はまだその言葉の意味が理解できなかった。
 初日はマレーシア最大の極楽寺、Kek Lok Si Templeへ向かった。30mのパゴダ(仏塔)や37mの観音像など巨大で迫力のある寺であった。赤、金、緑、白など派手な色使いとペナンの晴天の青空のコントラストは素晴らしいほど美しかった。
 ジョージタウンを散策するとすぐにユネスコ世界文化遺産に登録された理由が理解できた。イギリス植民地時代に建てられた真っ白の建物と中華系移民の人々が建てた長屋風のカラフルな建物の調和、そして近年、より美しく魅力的な街を目指して、ペナンの今昔を描いたコミカルなウォールアートやアイアンアートが街の至る所で楽しむことが出来るように工夫されていた。簡単にスマートフォンで写真を撮ることの出来る現代社会に適した発想で実に面白い。
 また黄色やピンク、緑などカラフルな壁に隙間なくぴったりと寄り添って並ぶプラナカン様式と呼ばれる建物は中国語の文字の看板に洋風のタイル。マレーと中華、多文化の融合に、欧米の統治下にあった歴史が感じられた。

<他大学の学生と関わって>

 他大学の学生とプログラムで関わるのは初めての経験であったため、最初に訪れたOlympia Collegeでの授業で衝撃を受けた。教授の発言を全てノートに書き写していたのだ。
 私の通う関西外大では全ての学生が外国語を学び、更に私のクラスでは教授が外国人の為、日本語が禁止されている。全員と言っても過言でない程、学生は海外志向である為、授業は教授の質問に早く答えたもの勝ちだ。皆が必死になって参加率の点数を稼ごうとする為、ノートを取っている暇がない。私はこれが「普通」だと思っていた。
 だが他の学生は専攻も経済学部や医学部と様々でもちろん授業の受け方も違う。興味が湧いて、大学での授業や興味のある分野について質問した。彼らは私が全く知らないことを勉強していて、興味を持ち、将来の為に努力していた。
 他大学の学生と関わることによって私の考える「普通」という固定概念を壊すことができ、視野を広げることが出来た上に親密になれた。この考え方はマレーシアで今後生活する上で非常に重要だと感じる。
 マレー系、中華系、インド系が生活している上に、現在外国人労働者が急増しているのが現状で常に「普通」ではないことが起こる。この国で今後生活するにはフレキシブルさを身につけることが必要でないかと実感した。

<マレー系の結婚式で花嫁に>

 様々なアクティビティーを行った中でも特に印象深いものが三つある。
 一つ目はマレー系の結婚式。幸運なことに、私は花嫁として参加させて貰うことが出来た。Gayn Kebayaという伝統的な衣装、Cucuk SanggulやAnting-Antingというアクセサリーを身に纏い、ド派手なメイクをして貰った。VIPの人達がお祝いに私の手に花びらを散らし、霧吹きで水をかけた。
 こちらからは引き出物としてゆで卵を渡した。何故ゆで卵を渡すのか気になったので聞いてみると、遠くから歩いて来てくれた人の為に帰りに途中でお腹がすいたら食べて下さい。という意味合いから長く伝承されてきているそうだ。その意味を聞いた時、マレーシアらしいと感じた。マレーシア人は本当によく食べ、私たちにご馳走してくれる。結婚式で知らない人が参加し料理食べて帰るのはよくあることだそうだ。
 このような万人を受け入れるような寛容な心が彼らの笑顔と繋がっているのではないかと思う。本物の結婚式ではなかったが沢山の人に祝って貰い、日本の結婚式とは全く異なった体験が出来たことは私にとって一生忘れられない思い出となった。

<水上家屋 ジェティー>

 二つ目はジェティー。ペナンの学生はどこでデートをするの?と質問すると、プログラム終了後に、Segi collegeの学生が連れて行ってくれた。ジェティーとは19世紀末に中国から新天地を求めてペナンに移住した港湾労働者が税金の支払いを逃れる為に立てた水上家屋のことだ。
 対岸には新しいビルが立ち並ぶ桟橋の上で現在も日常生活が行われている様子を間近で見ることができた。
 なにより私が感動したのは、彼らは自分達の住居を利用して、アイスや果物を売って観光化させていたことだ。時代の変化と共に自分達の生活を変化させ、古いものを守っていくその姿はペナンの人々が本当に世界遺産であるペナンの街自体を誇りに思っているように感じた。

<豪華な病院>

 三つ目は病院。私はボランティア活動中に体調を崩し倒れてしまった。幸いにもすぐに回復出来たのだが、DISTED collegeの先生は非常に心配し、病状について私に色々と質問してくださった。私は病状を上手く伝えることが出来なかった。自分の病状に関する英単語が全く思いつかなかったのだ。今後どのような状況下で病気や怪我をするか分からない、自分の病状を伝えられるようにしておくことがどれだけ重要か身をもって体験した。
 私は念のために病院へ行ったが、マレーシアの病院はまるで五つ星ホテルのような豪華さがあった。インターナショナル用のカウンターがあり、日本語の通訳がいた。なぜここまで豪華なのか理由を聞いてみると、マレーシアでは医療ツーリズムが発達しているからだそうだ。年間何十万人と海外から患者が来馬しており、特にイスラム圏から見ると、その水準はトップであるそうだ。ボランティア活動に従事できないのは残念であったが、病院で新しい知識を得ることが出来た。

<もっと貪欲に学びたい>

 既に記した通り、ペナンで様々なアクティビティーを通して今までにしたことのないような貴重な経験をした。10日間と短い期間ではあったが、他大学から参加した15人の日本人学生と日を重ねるごとに親密になることができ、毎日新しい刺激や発見を与えてくれた。彼らと生活する中で、もっと多くの学生にペナンやマレーシアについて知ってもらうキッカケを自分自身で作りたいと強く思った。
 幸運にも、私にはこれから1年間のクアラルンプールでの留学が待っている。今回ペナンで学んだことをこの1年間でもっと追求し、もっと現地の人と深く関わり、貪欲に学び続け、1年後にマレーシアのことを熟知しているという自信を持って日本で広報活動に従事することが今の目標である。ペナン春期学校での経験を糧に、ASEAN諸国の中でもとりわけ目覚ましい急成長を見せるマレーシアと共に自分自身も成長していきたいと思う。

<終わりに>
 10日間、ペナンの人々はみんな笑顔に満ち溢れていたのが忘れられない。こんなに幸福に満ちたような場所は他にどこにあるのだろうか。必ずペナンに戻ってくる、プログラムの最初に聞いたその言葉の意味が今、身に染みて分かる。
 最後に、手厚いサポートをして下さったマレーシア政府観光局徳永さん、運営事務局片桐さんをはじめ、ペナン教育観光センターの方々、15人の日本人学生の皆様、現地で出会った全ての方に深く感謝を申し上げます。素晴らしい時間を本当にありがとうございました。



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 (順不同/敬称略)


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