参加学生レポート

ペナン春期学校2016に参加して

獨協大学 経済学部 国際環境経済学科3年
堀越 侑莉奈

<外部からの視点を持てた>

今回、このプログラムに参加して得た経験や出会い、学びは本当にかけがえのないものとなり、私の人生に多くの影響をもたらしていくことだろう。私は、今の日本の現状に常に何かわからぬが危機感を感じていた。それは今も変わらないが、ペナンに行ったことで外部からの視点で自国のことを考えることができるようになったと思う。

<DISTED College でのプログラムで学んだ事>

Hello my friends ここから輪が始まる

私が一番感銘を受けたのはDISTED Collegeでのプログラムである。 支援を必要とする子供たちの通う学校に訪れ、子供たちと一緒に踊り、ゲームをしたり、お寿司を作ったり、言葉が通じなくともあふれる笑顔に包まれ、プログラム中で一番楽しかったのを覚えている。
 私たちが教室に入ったとき、子供たちは緊張していた、そして我々も緊張していた。でもゲームを通して次第に彼らに笑顔が出てくると私たちも楽しくなり、言葉を超えて心でその人と会話やコミュニケーションをしているようだった。コミュニケーションは本当にその人と知り合いたいとさえ思えばできる。そして、そんな思いは相手にも伝わる。彼らの笑顔が私たちを笑顔にしたように、思いが表情や行動となって私たちに伝わったとき、私たちの笑顔も彼らを笑顔にしている。私たちはお互いの鏡であった。このプログラムを企画しようとした方々に感謝したい。

きれいだったなあ、心が晴れ晴れしたもの
 はじめは、この企画はある意味ではかなりのリスクテイクであると思った。なぜならば、特別学校に通う子の中には他人と会うことを極端に苦手とする子もいる。、それも個性なのだが、通常だと外部の人が来るといったアクションを学校側はなかなか受け入れづらいこともあるだろう。しかし、このカレッジの、やってみなければわからない精神というか、そもそも外国人学生に今回のような企画を持ち込むこと自体、発想が本当に素晴らしく、感服の一言に尽きる。
 日本だと外部から、しかも外国人を招くというのは、言葉の問題や保護者への説明等でなかなかに難しく、勇気のいることではないかと考えてしまう。そこにある種の閉鎖的な考えがあることは確かである。

ナイスガイだぜ全く
 事実、このプログラムで言葉はあまり必要でなかったし、今回学校側がどのようにしてこの企画を実行するに至ったかはわからないのだが、保護者も見学に来て、一緒に写真を撮ったりして楽しんでいた。人々の寛大さもあると思うが、そこには確立されたシステムがあったように思う。日本はいつまでもリスクをavoidするのではなく、takeする方向に進まなければ先はないように感じた。
 ここで学んだことは、コミュニケーションというのは、互いにじっくりと時間をかけ、しっかりと相手に向き合い、相手が何を考え、行動しているのか、などを相手との対話を通じて分かち合っていくだけでなく、お互いに体を動かし、笑いあい、楽しみ、何かを達成するといった喜びを同じ空間で共有する、ということ。そこでは必然的に会話も励ましの言葉が増え、いつの間にか相手を思いやる行動をしている。そこに笑顔があったから、なおさら楽しい時間を過ごせたのではないかと思った。

<かけがえのない友達たち>

学生の手によって街が作られることに感動
 今回のペナン留学モニター研修プログラムで出会った友人は、私にとって本当にかけがえのない友人たちとなった。たったの10日間、切っても切り離せないような友情が芽生えてしまったのだ。4人の気の合う仲間と、一日のプログラム終了後のフリーな時間を最大限に活用して、日本に帰るまでの時間の1分1秒を絶えることのない笑顔に包まれながら過ごした。現地の子と仲良くなり、プログラムでは回り切れなかった観光地を回ったり、現地の子しか知らないようなスポットに連れて行ってもらったり。
 そして彼らのホスピタリティ精神には本当に脱帽した。日本で「おもてなし」と謳っているが、全くその比ではないとすら感じてしまった。マレーシアに詳しい友人からは、マレーシアではお客さんをいかにもてなすかでその人の素養がみられると聞いた。本当に至れり尽くせりな彼らになんだか申し訳ないようにも感じたが、彼らの心を素直に嬉しく受け取った。彼らが日本に来るときには、負けず劣らずのおもてなしをしてやろう、とひそかに心に誓った。きっと、私の友人たちもそんなことを思っただろう。

<多種多様な食事>

素敵な街並みどこまでも
 マレーシアの食事はほんとに多種多様で、10日間毎日違う料理を口にした。サポートのおじちゃんたちのおかげでもあるが、実にたくさんの食事があることに驚いた。10日間では食べきれなかったものもたくさんあった。マレー料理、インド料理、ニョニャ料理、中華、そして豊富な果物…民族の数の等倍以上あったのではないか。ほとんど辛い味付けがなされており、スパイシーが好みの私には天国のような食生活ではあったが、野菜が極端に少ないことと、マレーシアの人々は甘いものもが大変好みなようで、ドリンクのほとんどが突き抜けるような甘さだったのは慣れるまでに少々苦戦した。マレーシアの気候は常に暑く、ムシムシとしているため、辛いもので発汗を促し、しょっぱく、甘いもので汗で失った栄養素を確保する。食事も一度にたくさんとるのではなく、こまめに食事をとっている。そのため屋台の数がとにかく多かった。

本当に美しいものは言葉では表せません
 お腹がすいたときに食事が簡単に取れるというのは人の栄養摂取環境としてはかなり理に適っているように思う。というのも気候が気候のため、エネルギー消費が半端ではない。失ったエネルギー確保のために迅速な補給がなされなければ熱中症など起こりかねない。空腹やのどの渇きを感じることは体が生きるために発している警告のサインである。彼らは身体という自然の摂理に則した生き方をしているように感じ、文化の形成は気候や環境、そこに生きる人々の叡智によって生み出され、進化していくのだなと思った。
 彼らの自然と共栄して生きる生き方は本当に素晴らしいと思った。ただ、糖分の大量摂取により、糖尿病患者が多いと聞いたが、そのことは今後とも解決策を考えなくてはならない問題であろう。

<先進国とはなんだ?>

友情を発掘しました
 マレーシアは2020年までに先進国入りを目指し、いま開発真っ盛りである。帰路KLに1泊し、全てを回ることはできなかったが、近代的なビルが立ち並んでいることは遠目に見て確かなようだった。 先進国入りとはどういった事なのか、一体何を意味するのか。10日間の滞在で何とはなしに頭から離れなかった議題である。
 日本は1970年代の高度成長期を経て先進国入りしたといわれている。確かに経済が発展したおかげで様々なものが流通し、人々の生活はより快適に豊かになったであろう。だが、それと同時に欧米の文化が多く取り込まれるようになり、日本らしさというものが、(一部の地域では生活として存在し、懸命に守ろうとしている人はいるが)ほとんどは観光向けの作られた形でしかないように感じるのは私だけであろうか。
私は「~らしさ」というのはそのものの歴史であり文化が形成すると思っている。日本は「らしさ」が経済発展と引き換えに消えていったように感じる。

<マレーシアが発展させるものとは?>

恋と愛の違いを考える
 そこでマレーシアは何を残し、何を発展させるのか。いや、マレーシアのことだから誰も思いつかなかったような仕方で周囲を驚かせてもおかしくない。なぜなら、カレッジや東レ株式会社、空港までも、そこで学ぶ者、働く者の発想の自由が際限なく繰り広げられていたからである。
 例えば東レ株式会社では、普段現場で働く人々が、お客さんにわかりやすいようにと自主的に自社と他社の製品比較ビデオを作って会社側に提供するなど、結果として会社の未来に貢献する仕事を行った。それは、目の前の事柄についての最適を、自らの見方で見て、行動し、発信していったということである。
 マレーシアではそのような個々の思い付きが何かに制約されることなく、逆に広がりを見せているように思う。それは多民族が暮らす国だからこそ受け入れられるのかもしれない。そして素晴らしきは、KDU University Collegeでみた伝統的な建築物の様式を使って新しいデザインを行ったり、学生の考えたものが実際に街中で採用されたりと、人々の生活の一部になっていることだ。自国の文化を大切にし、さらに形式を守ったうえで新たな作品を生み出し、形としていく。自らの作品が目の前に実現することほどうれしいことはないのではないか。様々発想が共用されやすい環境なのかもしれないとも思った。

<マレーシアの課題>

色おとす者の心がにじみ出る
 しかしながら、マレーシアにも課題はある。多民族国家とはいえ、やはり民族間の衝突や偏見はあるようである。 法律ではマレーシア人を優遇するものもあるため、鬱憤をためている人々もいる。また貧富の格差があり、教育を受けられない子供たちや、田舎のまだ手が行き届いていないところではタバコを吸っている子供もいるようである。
 今回のプログラムでは、そういったあまり表に出ない地域に行くことは安全上の問題のため行くことができなかったのだと思うが、次回自分で訪れる機会があれば、マレーシアのより深みに多少のリスクを負ってでも行ってみたい。
 課題は多いがこれらの問題を考慮したうえで先進国入りとなされた折にはまた面白い国としてあるように思う。

<終わりに>
 今回の旅を通じ、マレーシアに暮らす人々の底知れぬ優しさや生き方に、自分が人間として生きていることの素晴らしさを教えていただいたように思う。 彼らから得た学びは大きい。私は最高の友人たちと共にまたこの国に訪れ、そして再び新たな友人、マレーシアに出会うことであろう。そのときを楽しみに今この瞬間を懸命に生きよう。
 マレーシアの友達、マレーシア政府観光局の方々、サポートしてくださったすべての友人に御礼申し上げたい。かけがえのない経験と友情を心から、ありがとうございます。



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