派遣生レポート

マレーシアを肌で感じて

慶應義塾大学 法学部 政治学科
寺本 麻鈴

マレーシアでの3週間、これまでに経験したことがないほど貴重な時を過ごした。このレポートでは残念ながらその経験の一部しか伝えることができないが、私が感じた思いをここに記すことで少しでもみなさんと共有できればと願う。

日本の海を越えて

「若いうちにいろいろな国に行きなさい」これまでの学生生活で何度も言われてきた言葉だ。

理屈では分かっているつもりでいた。“狭い日本なんかよりも、もっと素晴らしい世界が他にある”と言いたいのだろうと短絡的に考えていた。今回のLook Malaysia Program(以下LMP)で得たことの一つは、この言葉の意味を自分なりに理解できたことだ。おそらくそこに正解などはなく、言う人の意図も様々だと思う。しかし、私の答えはこうだ。
「若いうちにいろいろな国に行きなさい。日本を相対化して見ることができるから」
 「相対化して見る」とは、それまで自分の全てであった「日本」から少し距離を置いて、客観的に日本を見ることを意味する。そうすることによって国内にいては気づかなかったであろう、日本の良いところ、悪いところが見えてくるのである。自分でも不思議なのだが、マレーシアに滞在した3週間、これほど日本のことを考えたことはなかった。日本人の私が気づかなかった日本の美点や、私たちが目をそらしてきた事実をマレーシアで初めて気づかされたのだ。まさに、これが「相対化」である。

相対化で見えてきたこと

LMPでは、かつての東方政策の一環として日本に留学していた経験のあるマレーシア人の方々と話す機会が多々あった。印象的だったのは、多くの方が日本を褒めていたことだ。たとえば、長年日本で生活をしていたホストファザーは、日本の行政のシステム化は素晴らしいと話していた。日本では子どもの学区登録は一枚の用紙で済むが、マレーシアでは多くの役所を転々とさせられるという。また、会社経営をしているある人は、日本人が納期や約束の時間を正確に守るところや企業への忠誠心を大切にするところは感動に値すると話していた。
 日本人の私にとっては整備された行政のシステムや仕事における時間の正確さ、企業への忠誠心は当たり前のことだ。しかしそれは誇れる強みであることに気づくことができた。皮肉にも、海外に来て日本の良さを知ることとなったのだ。そして、私は日本のことがもっと好きになった。
 そのように日本の強みを再発見することもあった反面、厳しい事実を突きつけられたこともあった。それは大学での授業のこと。イントロダクションで日本の話になったとき、教授が「最近の日本は勢いがない。電子機器にしても音楽にしても、今では近隣諸国の勢いに負けている」と言ったのだ。そのように確固たる口調で第三者に断言されたことなど無かったため、その言葉は衝撃をともなって私の心臓を貫いた。日本国内でも「日本はかつての勢いを失っている」という論調はよく耳にする。それは理解しているつもりだった。しかし、心のどこかで先進国としてのプライドがあり、まだ大丈夫と高をくくっている部分があったのは否定できない。そこへ、第三者からの辛辣な一言。信じたくない現実を目の前につきつけられたようだった。だが、その辛辣な一言により悔しさがこみ上げ、これからの日本の未来を担っていく者としての自覚が生まれた。今思えば、教授のあの発言はそれを狙ってのことだったのではないか。あの言葉の裏には「だから君たちで日本を元気にするのだ。」というメッセージがこめられていたように思えてならない。このように客観的意見によって、少し距離を置いて日本を見ることができたことは大きな意味があるだろう。
 LMPでマレーシアに来たことによって、日本の良さを再発見しさらに日本を好きになった。また、鋭い第三者からの意見に悔しさを覚えたことは貴重な財産である。
相対化することで得る財産、これは私たち世代にこそ必要なものであると感じている。なぜなら、私たちの世代はバブル崩壊後に生まれ、大人たちが「今の日本は駄目だ」と言うのを聞いて育ってきたからだ。だから自国に自信がない、しかしそれでもある程度の生活の質は保たれており、さして不自由なく生きることができた。私たちは、どこかで今の日本に満足してしまっているのかもしれない。しかし、このままでは日本の国際競争力は確実に落ちるだろう。日本の良いところを再確認し、誇りを持つ。それと併せて、日本を支える当事者としての意識と現状への危機感を持つことが今私たちに求められていることではないだろうか。そして、それを促す有効な手段の一つが日本を外から見ることなのだと思う。今ようやく言われた意味を理解することができた。「若いうちにこそ、いろいろな国に行くべきなのだ」。

生きていく力

マレーシアでの生活で、生きていく力が確実に向上したように思う。ここで言う「生きていく力」とは、自分の頭でよく考えて行動することだ。当たり前だが、様々な場面においてマレーシアは日本とは勝手が違う。特に最初戸惑ったのは、モノレールやバスに時刻表がない、スリ・窃盗が起こる、都市部でも信号や横断歩道が少ないといったことだ。しかし、その環境がかえってプラスに働き、私を成長させてくれた。時刻表が無いため電車の待ち時間が長くなることも考え、集合時間よりかなり早めの行動を心がけるようにした。また、スリ・窃盗にあわないよう、リュックを前に背負ったり、部屋を出る際はPCをスーツケースにしまって鍵をしめたり、防犯意識を高めた。横断歩道の無い場所では、車に渡る意志を示してから慎重に道を渡るように気をつけた。このようなマレーシアでの生活を経験したことで、いかに日本で考えずに行動していたかを思い知らされることとなった。日本は安全な国と言われているがゆえに、リスクを想定したうえで自分の頭で考えて行動する場面が少ない。マレーシアでそれを思い知った。日本人はあまりにも無防備に生きているのではないだろうか。たくましく生きるマレーシアの人々を見て日本を顧みた時、ふと不安がよぎった。異常気象や食糧危機などの思わぬ事態が起きたときにも、サバイバルできる力強さが日本人にはあるのだろうか。生きていく力、サバイバルできる力をつけるためにはどうしたらいいのだろうか。やはり帰着点は先ほどと同様、海を渡り、いろいろな国へ行くことなのだろう。

マレーシアとの交流

マレーシアに3週間滞在している中で強く思ったこと、それは、これからさらに日本とマレーシアの親密な関係を築いていきたいということだ。ありがたいことに、マレーシアには日本に関心を持ってくれている人が多い。今回の旅でそれが痛いほど分かった。
「行きましょう!」「元気ですか?」「お大事に」など、日本語を一生懸命覚えて話しかけてくれた現地の友達。日本のアニメを見て、「ここが大好きなシーンなの!」と食い入るように画面を見つめていたホストファミリーの子どもたち。日本の雑貨店やレストランが並ぶ、大型ショッピングモールの「TOKYO STREET」。日本のことをこんなに好きでいてくれる国があるのか、と何度心が温まったことだろう。
しかし、日本人でマレーシアに関心を持つ人はどれほどいるのだろう。

私は、この3週間で実に多くのマレーシアの魅力を知ることができた。クアラルンプールにそびえたつKLタワー、ツインタワー。この二つのタワーはクアラルンプールの象徴といっても過言ではない。KLタワーから見る夜景は東京に負けないくらい素晴らしかった。そして、魅惑の街ブキッ・ビンタンもマレーシアを語るうえでは外せないだろう。夜になると出店が一斉に通りに立ち並び、あちらこちらで活気のある声が飛び交う。ついつい引き込まれた先にあるのは、見たこともないような食べ物や果物。怖いもの見たさに食べてみると、意外にどれも美味しかった。マレーシア人の大好物、ドリアンに挑戦して玉砕した夜も今ではいい思い出。そして、私がマレーシアで最も好きな街、プトラジャヤも忘れ難い。プトラジャヤは首相官邸や官庁が集まっており、都市計画に基づいて造られた行政都市だ。隅々まで整備されており、街並みは美しい。プトラジャヤでの最高の思い出は、なんといっても船の上から眺めた幻想的なピンクモスクだ。

このように様々な顔をもつマレーシアの魅力を、さらに多くの日本人に知ってもらいたい。日本とマレーシア間でそれぞれの文化・人・技術がこれからも活発に行きかえば、より絆を深めることができる。これからさらに交流を深めていきたいという思いを強く胸に刻んだ旅だった。
私自身も再びマレーシアを訪れたいと思っている。また、あの空気・文化・人の温かさに触れたい。

最後に

言葉では言い表せないほどの素晴らしい経験をした、写真を見返してみて、そう確信した。
写真にうつるメンバーの顔は本当にいきいきとしていて、どれほど楽しく充実していた日々だったかをよく表している。マレーシアでの経験が大きな価値を持つのは言うまでもないが、刺激的な3週間をともに過ごした仲間も私にとっては同じくらい大切だ。出会えたことに心から感謝をしたい。
 そして、マレーシア政府観光局をはじめとする、後援・協賛をしてくださった方々、また現地で出会ったすべての方、本当に本当にTerima kashi!

LMPはこれで終わりではない。ここで得たことをこの先どのように活かすのか、そこが最も重要なのではないだろうか。私が学んだことを自分ひとりで完結するのではなく、なにかしらの形で社会に還元していけたらと思う。