派遣生レポート

なぜ今、マレーシアなのか?
~東方政策Second Wave、そして、真の友人へ~

名古屋大学 医学部 医学科
清水 一紀

はじめに

“It was Japan which proved that it could be done and done well. And the other East Asian countries dared to try and to their surprise and that of the rest of the world they succeeded. East Asians are no longer shackled by an inferiority complex. They now believe what Japan can do, they too can. And they did.
 A world without Japan will certainly be very different.”
((東アジア諸国でも)うまくやれることを証明したのは日本である。そして他の東アジア諸国は思い切って挑戦し、成功をおさめ自分たちも、世界のほかの国々をも驚かせた。東アジア人はもはや劣等感に縛られることはなくなった。そして今や日本にできることは自分たちにもできると信じ、実際にそうしたのである。
 もし日本なかりせば、世界はまったく違っていたであろう)

1992年10月、ムハンマド・マハティールが欧州・東アジア経済フォーラムで行ったスピーチ「日本なかりせば」の一部だ。これ以後20余年、両国を取り巻く環境は一変した。
 マレーシアは、大きな経済発展を遂げ、先進国の仲間入りが射程内にある。翻って日本は、私が生まれた1991年以来、「失われた20年」と呼ばれる経済の低迷、高齢化社会の進展など様々な問題を抱え、国際社会でのプレゼンス低下が叫ばれて久しい。
 本稿では、次世代を担う者として、マレーシアで何を感じ、考えたのか、今後アジア地域とどう向き合っていくべきなのか、その道筋を提示する。

1.新たなベクトルの認識 ―「ルックマレーシア」の登場―

2012年、マレーシアが東方政策を実施して30周年を迎えた。東方政策とは、日本の成功と発展の秘訣が国民の労働倫理、学習・勤労意欲、道徳、経営能力、技術力等にあるとし、マレーシア社会の発展と産業基盤の確立に寄与させようとする、極めてユニークな政策である。日マ両国の協力のもと、30年にわたり継続されてきた。

これまでの東方政策には、大きく2つの前提があった。第一に、理系を中心とする留学生を日本で教育し、技術を持ち帰らせる、第二に、留学生に日本の労働倫理を徹底的に学ばせる、というものだ。日本企業の技術力はマレーシアで高く評価されており、2020年に先進国入りするとの目標 “Wawasan2020” 達成へ向け、東方政策Second Waveとして、省エネや環境技術、農業技術等の面で幅広い協力が可能だ。また、日本の技術や考え方をマレーシア社会に広く伝えるため、人文社会学方面での協力も不可欠になる。

一方で近年、日本からマレーシアにベクトルが向けられつつある。それが、「ルックマレーシア」という考え方だ。アジア通貨危機やリーマンショック後の世界同時不況からもいち早く立ち直った経済力、多民族社会の規範、豊かな観光資源、イスラム金融の分野におけるアジア・アフリカ圏との交易中心地、ハラール市場の興隆等、マレーシアから学ぶべき様々な視点が生まれている。

マレーシアが日本から一方向的に学ぶという考え方から脱却し、双方向的に学ぶ、連携するという、発想の転換をすべき時代がやってきたのだ。

2.異質への寛容 ―アジアの縮図での体験―

2-1 異質の体感

何よりも印象深かったのは、市内に数多く存在するモスクである。改めてイスラム国家を訪れたことを認識した。マレーシアは多民族国家であり、街を歩けば、マレー人、華人、インド人の主要3民族に加え、この分類に当てはまらない文化的混血者や文化的越境者も少なくない。マレーシア国民以外にも目を向ければ、近隣諸国出身者が社会の新しい要素を構成している。少数ながら、日本人もその一部だ。

 商店の店員が、「こんにちは」「はじめまして」「ありがとう」と日本語で話しかけてきたのにも驚かされた。歓待の精神は日本の強みと認識していたが、日本で、マレーシアからの訪日客に対し、マレー語で挨拶できる人間がどれほどいるのか、観光地への案内をする際、国民のどれほどがきちんと英語で説明できるのか、考えさせられた。

8月31日の独立記念式典も、我々の社会から見れば異質と言えるかもしれない。数え切れないほどの国旗が街中いたるところに掲げられ、会場には溢れんばかりの国民、マレーシア軍兵士、そして戦車。独立国家として、多民族性を意識させることなく、マレーシア人としての意識を高揚させる姿は、壮観であった。

さらに、大学での数多くの学生との出会いも貴重だった。我々が考える「アジア」よりも広範囲、すなわち、東アジアや東南アジアに限らず、西南アジアやアフリカ出身の学生とも触れ合えた。アジアの縮図という表現を、身をもって体験できた。

2-2 異質への寛容

本プログラム参加にあたり、私は、次の点に興味を抱いていた。多民族国家マレーシアは、独立国家としてあるべき姿をいかに保っているのか。
 私が出した結論から述べよう。各民族が共生し、お互いを尊重する一方、“One Malaysia”というスローガンを掲げ、マレーシア人としての誇りを持たせようとしている。歴史的背景ゆえ、他文化を尊重し理解しようとする姿勢が自然に培われたのであろう。1971年のブミプトラ政策開始から40余年。将来を担う人材の育成面で、一抹の不安を感じるのは事実だ。だが、バランス感覚という点では、大変優れている。
 現代世界は、多様性が増す方向に進みつつある。多様な背景を持つ人々の間で、どのように情報共有と意志決定を行い、社会全体の発展をどう実現するかは人類社会の喫緊の課題だ。日本社会においても、文化や価値観の多様性をどのように受け止めるかという問題に日々曝されているからこそ、多様な文化背景を持つ人々で構成される社会を切り盛りしてきたマレーシアの知恵や工夫に我々の目が向くのだ。
 確かに、マレーシアでの多文化社会の運営方法に、改善の余地はある。しかし、これほど多様な人々が集まって1つの社会を作り、その構成員が流動的であり続けている状況下、極端な対立に発展せず、民主的な意思決定の仕組みと実践をある程度維持し経済発展を遂げつつある点で、マレーシアは多文化共生の経験と技術を誇るべきだ。この点では世界の模範に成り得る。
 異質を捉える過程で自己の価値観を確立する一方、それを相手に押しつけず適度な距離感を作ること、これが寛容の始まりであると、私は学んだ。

3.プルラリズムな現代アジアへの挑戦

3-1 アジアの中の日本 ―「アジア流」の創造―

現地滞在中、幾度となく日本を見つめ直した。日本の技術力の高さを再認識し、多民族社会での国家運営の課題、アジア・アフリカ圏との交易中心地としてのマレーシアを深く捉え、日マ双方向の協働の不可欠性に思いを馳せた。
 マレーシアは2020年に先進国入りを目指している。輸出主導型の発展モデル、内需増大を目的とした大型インフラ開発をはじめとする公共投資等により、低開発国から中所得国まで発展してきた。賃金は既にASEAN諸国の中でも高い水準にあるが、労働力を外国人労働者に依存している。大型インフラ建設にあたっては、主に技術面で外資に依存するケースも多く、政情不安等により、危機的状況が生じる可能性もある。「中所得国の罠」に陥る可能性も否定できない。消費主導の経済へ移行しつつ、社会の多様性に積極的に目を向け、社会的弱者に対するいたわりを制度的に保証する社会構造への脱皮が課題となっている。ここに、日本が果たせる役割がある。
 かつて日本は、“Japanese miracle” とも呼ばれる高度経済成長を成し遂げた。その後安定成長へと移行し、人件費上昇や高齢化等、成長鈍化の障害を乗り越える努力を続け、現在、消費主導で成長可能な安心社会を作る試行錯誤を重ねている。近い将来、同様の事態が想定されるASEAN諸国にとって、この姿勢から学び取ることは有益だろう。
 もう1点忘れてはならないのが、無形の力「価値観」に重きを置くことだ。確かに、近年のアジアの経済的発展は著しい。だが、その全てが正しい価値観や倫理の下に存在するのか、私は懐疑的だ。ここに、日本の強みを活かすべきだ。
 それは、世界の中でも稀有な、勤勉・真面目・誠実という性質、そして、利他の精神だ。かつての日本が、これらの精神から「自由・民主主義・基本的人権」等、世界に誇る普遍的価値を生み出したように、無形の力は、長期的な視点でアジアの成長エンジンになる。
「日本流」とも言うべき精神をアジアへ浸透させ、彼らと共に、アジア・スタンダード、「アジア流」を創造していこうではないか。

3-2 アジア代表としてのリーダーシップ ―もう一度、輝く国へ。―

日本は、東アジアの国々から生まれた唯一の先進国だ。潜在的な大国である中国と対等以上の関係を保つ責務を果たせるのは、アメリカでもヨーロッパでもない。日本である。多くのアジア諸国も、日本のリーダーシップに期待している。
 戦後の欧米志向の高まりにより、かつて我々が持っていた日本固有の精神、これを忘れてはいまいか。もう一度、輝く国になるため、自律し、良き哲学を取り戻そうではないか。
 21世紀のアジア太平洋地域の秩序作りへ向け、地域協力のハブとしてASEANを重視し、経済連携を通した繁栄を目指すと同時に、普遍的価値の定着及び拡大を目指す。これこそが、日本が歩むべき道であり、「アジア流」創造の第一歩になると、私は確信している。

おわりに

かつて、フランス第5共和政の初代大統領シャルル・ド・ゴールはこう言った。
 “A great country worthy of the name does not have any friends.”
 (大国の名に値するものに友はいない)

 この発言は、私の副題と矛盾するものであろうか。
 日本とマレーシアは、過去30年にわたり、それぞれ経済的・社会的・文化的発展に取り組んできた。転換点を迎えた今、人材育成や技術移転に力点を置く狭義の東方政策から、日マ協力のもと、世界に誇る新たな技術や規範の提示へ重点を移すべき時だ。技術力や精神力の高さの追求に加え、良好な人間関係を築いていくことは実に高尚な協力関係ではないか。世界に類を見ない新しい価値を創出できる可能性を秘めているのが、この日マ関係だ。本プログラムに参加した 一人の日本人として、近い将来、日マ関係、さらにはアジア圏を担う有為な人材になれるよう、泥臭く努力していく。
 最後になりましたが、主催のマレーシア政府観光局、協賛・後援・協力団体の皆様には多方面でお世話になり、心より御礼申し上げます。また、現地滞在期間中、Syed会長やIsrami副会長をはじめとするALEPS(Alumni Look East Policy Society:東方政策元留学生同窓会)の皆様には、多大なるサポートをいただきました。深く感謝申し上げます。
 本当にありがとうございました。