派遣生レポート

見て感じて、未来を考える

神田外語大学 国際コミュニケーション学部 国際コニュニケーション学科
越後 茜

空港に着くと、大勢の人々、アメリカのなんだか甘い匂いや日本とは違う何とも言えないアラビックな匂いに包まれました。マレーシアではどの場所へ行っても活気で満ち溢れ、私自身が人々からエネルギーをもらったような気がします。真新しい建物と屋根にたくさんのゴミが積もっているマンション、人と車でごった返す道、もはや機能していない信号、私の足元で物乞いをする母と子。高層ビルが立ち並ぶ一方で、一本中の路地に入るとごみが散乱しているような光景を目の当たりにする、全てが表裏一体になっている何かエネルギーが立ちこめる国だという印象を受けました。

自らの発明品を発表し、時には売り込むといった場(Inovation&Invention Competition)で、現地の学生や企業の方々とお話をする機会がありました。CD-ROMをリサイクルし、新しいプラスチック部品に作り変えるという発明を、文系や理系といった垣根のない中学生から聞いた時は、恥ずかしながらただただ驚くことしかできませんでした。自分達が生きている社会に対し問題意識を持ち、どう行動していけばよいかというビジョンが、年齢に関係なく明確に彼らの根底にあるように見えました。また、DREAMEDGE社に訪れた際に聞いた、日本の技術だけではなく、人づくりや信頼づくりをマレーシアに還元していくというAdri社長のお話には、時間を忘れて引き込まれました。確かに技術力や経済マーケットの大きさは日本の方が上回っています。しかし数値には表れない、人々の学び続けていきたいという貪欲さと、やるぞ!と決めたら突っ走るスピード感は今の日本社会からは決定的に欠落している部分だと痛感しました。また、中心街(ブキッビンタン)では成長の速さを目の当たりにしました。街中の工事現場や建築現場では常にむき出しで作業が行われていました。よく利用していたモノレール乗り場のフェンスの建て替えは、わずか1日しか経っていないのにもかかわらず、完成に近かったのです。急ピッチで行われる作業に、2020年までに先進国入りをしようという国を挙げて強い気概を感じた瞬間でした。

マレーシアで生活していく中で、自分自身の物事の判断の基準や思考回路が「正しい」「正しくない」、「汚い」「汚くない」といった二択の線引きから、差異があるからこそ魅力的で面白みが生まれるのだというスタンスに塗り替えられるという自分の中の変化を感じました。多民族国家であるマレーシアですが、マレー系、中華系、インド系、その他の人種がいる中で、全ての民族が入り混じり仲良くしている様子は、私のマレーシア渡航前のイメージとはかけ離れていました。大学内のカフェテリアや街中の屋台でも、だいたい同じ人種で固まる傾向にあるように感じました。お互いがお互いにベストな距離を保つことにより、共存しているように感じることができるのです。そのような環境では、「英語」は机で勉強するというよりも、コミュニケーションを図るため、生きていくためのツールとして使われているのだと改めて実感しました。

2泊3日の短かったホームステイ先では、ほとんど英語を使い、意思疎通を図っていました。3歳の男の子は英語のテレビアニメは完全に理解できるようで、彼が見ているアニメは全て英語のものでした。家では本を読みながら一緒に発音練習をしたり、簡単な会話をしたりしました。幼少期の英語教育は通わせる学校や宗教などにより、各家庭に委ねられていることがわかりました。1歳の女の子には英語で話しかけても勿論通じないので、マレーシアの「赤ちゃん語」をいくつか教えてもらい、時にはホストマザーの通訳を介しながらコミュニケーションを取っていました。会った当初は私の元に近寄ってこない程の恥ずかしがり屋な子ども達でしたが、 最後には「Kakak!(年上のお姉さん)」と抱きついてくれるほど懐いてくれました。

ホームステイ期間中は、近くの遊園地や大型ショッピングセンター、屋台、ローカルな巨大マーケットなどへ連れて行ってもらいました。また断食明けを祝うために各家庭や会社単位で友人や知人を家に招きごちそうをふるまう「ハリラヤ・オープンハウス」という習慣があり、私はホストマザーの妹さんの会社で主催するオープンハウスに参加させていただきました。マザーのお友達の家に遊びに行った際には「ドゥイ・ラヤ」と呼ばれるお年玉が子供たちへ配られ、家には帰るとホストファミリーの家族が集結していて、まるで日本のお正月のような期間だと感じました。田舎からホストマザーの義理の弟さんや妹さんが遊びに来ていて、独立広場で行われているパレードの生中継番組や歌番組を見ながら、夜遅くまでテレビを囲んで話していました。その中で宗教の話題になると、良い意味でも良くない意味でも自分は日本人だと感じる時が多々ありました。日本人の私の心のどこかに宗教は何か畏れるものがあって、免疫のない話題であるから、というのが一番の理由かもしれません。ホストファミリーは嫌な顔一つせずお話してくれましたが、どこまで踏み込んで話していいのかと、私なりに自分の一言一言に、とても慎重になる話題でもありました。勿論イスラム教に限らず、興味本位で自分が信仰する必要もありませんしできませんが、自分とは違う信仰を持つ人と共存していく上で、自分なりのスタンスを確立していく必要性を感じましたし、とても繊細な部分を話してくれたホストファミリーに改めて感謝したいと思います。

国境を越え、何も知らない土地に飛び込む時には勇気と情熱と語学力を持ち、お金とパスポートさえあればどこへでも簡単に移動できる時代です。しかし人・モノ・金の流通が自由になり、国境を行き来するハードルが低くなりつつある今、国や民族に関係なく、様々なバックグラウンドを持った人が日本に入り込んでくる現実を受け止めることのほうが重要視されるのではないかと私は考えます。いかに他を理解、尊重し、受け入れるということの重要さは、今後考えていかなければならない課題かもしれません。2020年東京オリンピックが決まり、招致国としての日本の国全体と私達日本人ができる、そしてすべきである真の「おもてなし」とは果たして何かと、マレーシアからの帰国後、改めて考えるようになりました。時間を分単位できっちり守る、お客様をもてなすといった日本独自の文化はしっかりと確立していかなければなりません。看板の言語表記に英語を加えることなどの表面的な改善が必要なのは勿論ですが、イスラム教や他の宗教に対しての理解が現段階ではまだ浅いのではないかと考えられます。マレーシアにはイスラム教信仰者のための祈りを捧げるための部屋やモスクがあり、レストランやカフェ、日本でも見かけるような大手チェーン店にも、イスラム教信者が安心して食べられるように配慮し、ハラルマークがあらゆる所につけられています。同じアジア圏であっても、街中に国旗を等間隔に掲げ、国の独立を喜ぶ勢いを国民から感じるということも日本では考えにくいでしょう。まさに自分とは違う「異質」を受け入れることが今後重要になるのは間違いないのです。

インターネットでデータを見て知ることは簡単ですし、今プログラムに協賛してくださったAirAsiaをはじめとする格安航空会社の発展などにより、個人単位の小旅行も以前よりも格段と手軽になりました。だからこそ、東南アジアというただ漠然としたカテゴリーでくくってしまうのではなく、一つ一つの国について座学で勉強するだけでなく、実際に訪れ、データだけではない現地そのものを見て、何か触発される出来事や人にたくさん出会うという体験が必要になるのではないでしょうか。

活動中は常に大学も専攻も異なるLMPの仲間達からは刺激を受け、もっと勉強しなくては、という衝動に駆られました。最後になりますが、このような貴重な学びの機会を下さったマレーシア政府観光局の皆様並びにALEPSの皆様を初め、このプログラムに関わっている全ての皆様へ、心から感謝の気持ちでいっぱいです。素晴らしい3週間をありがとうございました。