派遣生レポート

Multinational country, Malaysia

明治大学 経営学部 経営学科
杉村 理樹

Look Malaysia Programに参加するにあたって

“多様性"。この言葉の意味を理解すべく、私はマレーシアに行く決心をした。
 今年の春休みに中国の北京へ行った。そこである中国企業を訪問した。訪問前、私は中国のことを重要視しておらず、その企業についてもそれほど関心はなかった。しかし、その予想は大きく覆された。浅はかかもしれないが、中国企業と言えば、利益を追求するためには何でもやってしまうというようなイメージがあった。しかしその企業が最も意識していること、それは多様性であった。その従業員の多様性は非常に幅広いものであった。その企業には10人で構成される取締役会議があるのだが、その10人の国籍はなんと7ヶ国。衝撃を受けた。たかが中国の1企業と捉えていたものは、実は世界中から集められた精鋭によって国際的に活躍する企業であったのだ。
 これが中国の原動力なのか、と思い知った。取締役が多様化している日本企業がどれほどあるだろうか。ほとんど見当たらないだろう。この経験以来、私は多様性を強く意識するようになった。多様性を意識するようになって気付いたことがある。それは”多様性の中で生きている人間は魅力的である”ということだ。多様性は人を成長させる可能性を秘めているのかもしれない。では、なぜ多様性の環境下で暮らす人々は魅力的なのだろうか。多様性はどんな影響力を持っているのだろうか。考えても明確な答えは見つからない。この答えを見つけるためには多様性の環境下に一定期間身を置くしか方法はない。そう思い、私はマレーシアへと旅立った。

未知なる国、Malaysia

マレーシアに着く。湿気はなくカラっとした暑さ。早朝にもかかわらず人で溢れる空港。さあ、貴重な3週間の始まりだ。マレーシアにはマレー系、中華系、インド系が存在することは既知であったが、それをいざ目のあたりにするとなんとも奇妙な光景であった。ここはどこの国なのだろうか。中国か、インドか、はたまた未知なる国か。不思議な感覚に陥る。ただ、今回のミッションを達成させるためには絶好の場所かもしれない。そう思い、今回の企画に携わっていただいた方々に改めて感謝した。
 ここで、多様性とは一般的にどのようなものであるかを整理しておきたい。多様性とは、幅広く性質の異なるものが存在することである。具体的には、国籍、人種、性別、年齢、経験、そして背景等の違いである。単一民族、単一言語の日本人としてはあまり馴染みのないものである。しかし、マレーシアにいると、不思議とこの違いはあまり気にならなかった。気にならないというのは、多様性を感じられないというわけではなく、多様性を感じつつもそれほど意識しないということである。マレーシアには多様性がうまい具合に溶け込んでおり、私もその多様性の一部になってしまったのである。おそらくこの感覚はマレーシア以外の多民族国家に行っても感じられるだろう。もちろん民族同士が共存していることが前提だが。
 マレーシアでは衣食住の全てに多様性を見て取れる。マレーシア人は宗教によって身に纏う服装が異なる。イスラム教徒の女性は、一般的に頭を含めた体全体を隠す格好をしている。街で歩いている彼女たちはすぐに発見できる。一方で、同じイスラム教徒の女性でも顔だけは隠さない人、さらには体も隠さない、日本人が見なれているような服装をしている人もいる。イスラム教徒以外の女性は同じようでまた少し異なる格好をしているため、街の中には様々な格好をしている人々を目にすることができる。ハレの日にはマレーシアの伝統的な衣装であるバジュ・マラユを着る。ホームステイを行っている最中に体験した独立記念日もそのうちの一つである。日中は広場で壮大なイベントが行われ、その様子が全国に中継される。夜には近所の人が一ヶ所に集まり、各家、各家庭の幸福を祈って歌を歌い、共にご飯を食べるオープンハウスが催される。私はホームステイファミリーに買ってもらったバジュ・マラユを身に着け、そのイベントに参加した。他にも中国の旧正月の際には中国の伝統的な衣装を、インドのディーパバリ、またはディワリ祭の際にはインドの伝統的な衣装を見ることができる。
 食に関しては言うまでもない。どこに行ってもマレー料理、中華料理、インド料理、さらには日本料理などがある。たしかに、日本でも日本食以外の外国食はいつでもどこでも食べられる。しかし、マレーシアのそれは日本とはいささか異なっているように思える。マレーシアにおけるマレー料理、中華料理、インド料理は、簡潔に言えば、日本に全く異なる日本食が3種類存在するようなものである。主役である日本食の脇役としての外国食ではなく、3つ全てが国の料理なのである。好き嫌いの激しい日本人にとって、食の多様性はありがたいものである。マレーシアが永住したい国でNo.1に輝く一つの理由に、この食の多様性が挙げられるだろう。
 住に関しては、"住"そのものでなく、住の一部である宗教関連の建物に注目したい。マレーシアには多くの宗教があるが、それぞれの宗教建築物が違和感なく共立している。モスク、寺院、そして協会。これらが街のあちらこちらに散在している。日本ではあまり目にすることのない光景である。たとえあったとしても、周りの風景とうまくマッチせずに独立してしまうだろう。しかし、マレーシアはそうではない。それらの建造物は周りの風景とうまく調和しており、まさに"共に在る"状態であった。
 このように、マレーシアには幅広い多様性が存在する。しかし、これらの違いはそれぞれが独立しているのではなく、うまい具合に共存している。これにより、マレーシアは世界に類を見ない平和な多民族国家として成り立っているのである。では、なぜこれほどまでに絶妙なバランスを保てているのだろうか。それはマレーシア人の意識の中にあった。

多様性をまとめる、無意識な“意識”

マレーシアで過ごした3週間で何を学んだのか。当初目的としていた多様性の答えを導き出すことはできたのか。残念ながら確固たる答えを見つけることはできなかった。ただ、ヒントは得た。既に言及しているように、多様性とは”違い”そのものであるが、多様性がうまく融合するためには"意識はしているが、意識していないように見える状態"が不可欠なのである。多様性の中で生きていないからこそ、人は違いを意識してしまう。多様性の環境下で暮らしている人はその人自身も多様性の一部分であるため、違いを意識することは少ない。マレーシア人はこの人が何人かなどとは気にしない。その人は同じ人間であり、英語を話し、理解し合えるのだから。マレーシア人は違いを受け入れ、尊敬することができる。それは意識をしているかもしれないが、無意識の範囲内で行っていることなのである。

また多様性と言っても、所詮どこかでひとつにまとまっている。多民族国家のマレーシアでも、イスラム教徒という国教があり、マレー語という国語がある。そういった何らかの繋がりがあるからこそ、多民族同士が繋がることができる。結局は共通のものがあって共存できるのだ。言語も違えば、宗教も違う、また人種も異なる人が果たして共存できるのか。できないだろう。詰まる所、違いの中に共通点を見つけ出し、仲間意識を持てるから多民族であっても共存できる。その共通点を見つけるためには、違いを受け入れ、尊敬するという、無意識のようだが確固とした意識が必要なのである。この状態こそが多様性の共存に欠かせないのではないだろうか。たかが3週間で多様性を理解しようとしていた私の考えが甘かった。マレーシアで得たヒントを基に、今後も多様性への理解を深めていきたい。

感謝

ここまで、多様性について言及してきたが、マレーシアで学んだことはもうひとつある。日本の素晴らしさである。マレーシアと比べると日本は非常に発展しており、全てのことに関して恵まれている。街は清潔で、トイレには紙がある。交通マナーは良く、信号も至る所にある。食べ物は安全で美味しく、水道水を飲むことができる。レストランに入ると当たり前のようにお手拭きと飲み物が出てくる。店員のホスピタリティは良く、さすがはおもてなし文化の国である。交通機関も充実しており、それも時間通りに運行している。日本のパスポートは世界最強のパスポートで、どこへでも旅行に行くことができる。何て素晴らしい国なのだろうか。なぜ私たちはこの状況に甘んじ、日々生活をしているのだろうか。これまでにも感じたことだが、マレーシアではより一層強く感じた。先進国と新興国の間にはこんなにも大きな隔たりがあるのかと。

一方でマレーシア人の未熟さも感じた。たとえ経済力で先進国入りできたとしても、彼らの国民レベルではそれには程遠い。マレーシア人にはたしかに親切で、フレンドリーで、謙虚な人が多い。ただそうでない人、つまりホスピタリティがなく、交通、ポイ捨て等のマナーがなく、仕事の熱意がなく、動物には攻撃的で、時間に疎い人々も存在する。2020年までにマレーシア、およびマレーシア人はどれだけ成長できるだろうか。日本とマレーシアの差はどれだけ埋まるだろうか。東京はオリンピック開催地になったことで多少なりとも成長するだろう。7年後の日本とマレーシアがどうなっているのか、非常に楽しみである。

この3週間で得られたものは必ずや人生に良い影響を与えるだろう。生活を共にしたメンバーから学んだことも数多くある。今回は16人全員が異なる大学出身で、学部にも多様性が見られた。そのメンバーたちからは本当に良い刺激を受けた。最高の仲間と共に最高の環境で学習できたことを誇りに思っている。最後に、Look Malaysia Program 2013に携わって頂いた方々に深く感謝し、このレポートを締めくくりたい。