派遣生レポート

Nicely warm country, Malaysia

成城大学 社会イノーベーション学部 政策イノベーション学科
片桐 勇希

~日本」と聞いたとき、あなたは何を思い浮かべるだろうか~

技術力、清潔さ、治安の良さ、そして、独自の文化。そのどれもが正しく、新しさと古さを兼ね備える希有な存在として認知される国、それが日本である。その地に住む者としての誇りを、私はもっている。しかし、それと同じぐらいの危機感ももたざるをえないのが現状ではないだろうか。1000兆円を超える国債、コモディティ分野において技術的な優位性を保てなくなりつつある家電、そして未だに解決口の見えない原発由来の諸問題。書店に足を踏み入れれば、日本の置かれた現状を嘆く書籍を見つけるのに困ることはまずない国であることもまた事実である。
 光と同じぐらい強い陰を持つこの国を再興するために、自分は何をすべきなのか。答えのないこの問題を自分に問い続けた結果、アジア諸国と手を取り合い「Team Asia」として存在感を高めてゆく選択肢に可能性を見いだすようになった。そして、アジアの多様性を具現化したマレーシアの理解を深めることが、日本とアジア諸国の橋渡しを実現できる人材となるための第一歩として最善であると判断し、本プログラムへの参加を志望するに至ったのである。本稿がマレーシアを通したアジアの持つポテンシャルについて考察するきっかけとなればこれほど嬉しいことはない。

~新鮮な驚きとともに~

2012年8月25日~9月15日までの3週間、私たちはマレーシアを訪問しました。関東から10名、関西から6名選ばれた総計16名のメンバーですが、1,2回事前研修で会ったものの、ほぼ初対面の状況。これからの3週間マレーシアだけでなく、参加メンバーともどのような関係を築いていけるのか、少し不安に思いつつ、日本を離れました。

海外ならではの「異国感」を最初に味わったのは、実はマレーシア到着前、羽田空港であった。本プログラムの協賛企業であるAir Asia便に搭乗して間もなくのことである。機内に次々に流れる流行の最先端を行くポップな楽曲を耳にしながら、日本のエアラインではまずない演出に驚きによる笑みが思わずこぼれてしまった。そうして、海外へ出発することへの確かな胸の高まりを感じながら、私たちは日本を後にした。

そんな気分とは裏腹にマレーシアに着いた実感がさほど湧かない私たちを待ち受けていたのは、刺激満載の市内観光であった。道中の高速道路にあったサービスエリアで休憩をすれば日本円にして100円程度でできる食事の数々に驚愕し、モスクへゆけば信仰の力と美の感性に圧倒され、街を歩けば国旗をつるすビル群に我が目を疑った。同じアジア圏に属する国とはいえ、そこはたどってきた歴史も住む人種も異なる国なのである。マレーシアには、あなたを驚かせるに十分な刺激が溢れている。その例を、より詳しくみていきたい。

~マレーシアを語るにおいて~

マレーシアの特徴のひとつに「あたたかさ」がある。それはなにも気候のみならず人もまたそうであり、現地での滞在をより豊かにしてくれるものであった。勉強の成果を試そうとする私のつたない中国語に辛抱強くつきあってくれた露天のおばちゃん、迷子の果てにショートカットを試みて暗い道をゆこうとする私に危険だと忠告してくれた女性、体調を崩した私のことをしきりに気にかけてくれたホストファミリー。特に、私たちをお客様としてではなく、利害関係のないフラットな関係で付き合ってくれたIUKLの友人には本当にお世話になった。日本人学生に本当のマレーシアを知ってほしいと、彼らなりの政治腐敗に対する考察や、マレー人優遇政策による弊害など、インターネットでは検索しきれない「生の情報」に触れる機会を提供してくれた。それだけでなく、国籍はちがえど同じ大学生である。楽しいことも大好きなのだ。歴史上重要な時代を例証するとして世界遺産に認定されたマラッカや、世界最大の人口サーフビーチを有するウォーターパーク、そしてお気に入りの飲食店での食事。彼らとはよく考え、よく学び、よく遊び、よく笑い、よく食べ、言葉ではあらわせないほど充実した時間をともにすることができた。

マレーシアを表す言葉のひとつである、「Diversity in Harmony」。これは、豊かな差異を内包しながらも異なる民族間で争いなく平穏な生活環境を実現していることをさしている。知識としてではなく、自分の目で見て感じたからこそ気づけたその理由は「生まれたその瞬間に自分の属する人種/民族が全てではない環境に身を置いている」からではないかということである。人種/民族間の差異を異質であると拒絶するのではなく、当然に存在する違いとして認知できる環境に生まれることで、他者の存在を受け入れることができるようになるのではないかと思うのだ。

モノカルチャー国家である日本が学ぶべきことこそが、この異質な物を受け入れるということだろう。そして、そのために最も必要とされるのが、自分たちと異なる人種グループに属し、異なる言語を話しながら多様なライフスタイルを送っている人たちの存在を認知することである。その点で、今や小学校から始まる外国語教育の中で出会う、外国人教師の存在が果たす役割は大きいのではないかと感じた。この先、“国境”のもつ意味合いはいっそう弱まるであろう世界を生きてゆく世代にとって、「他者」の存在を認知することは必須である。これは義務教育の中でいかに実現してゆくかを検討するべきだ。

~発展のまっただ中にある国~

マレーシアは2020年までの先進国入りを目指すべく、急速に発展しつつある国である。そして、その片鱗は市内のいたるところで目にすることができる。輸送力増強のための工事が続くモノレール、建築が続くビル群。その中でも抜群の存在感を放つのが、重機群だ。夜間も休みなく工事が続けられる現場が、成長の著しさを物語っていた。経済規模や国民の平均学力は数値化することができ、実際に国力として表されることが多い。

しかし、その活動を引き起こしていく人間が抱える想いは数値化できない。私がお会いした方からは、マレーシアという国の成長を支える“人”の存在を確かに感じられた。日本留学後の未来への希望を胸に勉学に励むマラヤ大学の学生、国が抱える問題を解決するためのアイデアを具現化する中高生、そして国を良くしたいと口を揃える大人たち。技術力、経済規模など表面だった分野では日本に軍配があがるが、目に見えない国の底力ともいうべき部分において、日本は負けている。物質的欲求が満たされていない国が内包するエネルギー量を肌で感じながら、そう思わされた。


~イノベーション専攻の者の視点から考察する、マレーシアの可能性~

日本で唯一「イノベーション」の名を冠する学部を有する大学にて学ぶ私だからこそ言及できる点。つまりマレーシアが秘めたイノベーションの可能性へと話しを進めていきたい。
 イノベーションというのは極めて有機的な事象で、それゆえに多様なバックグラウンドを持った人間が恊働しあうことによって引き起こされる可能性が飛躍的に高まる。つまり、多様性という特異性があるマレーシアという国にはイノベーションが起こる可能性が高いといえるのだ。

その土壌を活かし、果敢な企業活動を実施する企業を訪問する機会にも恵まれた。その会社とは、日本での留学、勤務経験を持つアドリさんが立ち上げたDream EDGE社である。コア事業のデジタルエンジニアリングにとどまらず、多彩な才能を次々と発掘し、事業拡大を驚くべきスピードで成し遂げる企業。私は、そこに日本企業が失ってしまったものを備えた企業だとの印象を受けた。圧倒的なスピード感をもって攻め続けるその姿に、教科書で学んだかつての日本企業の姿を見たからであろう。アドリさんにはその後も夕食にお招きいただいたり、マハティール元首相にお目にかかる機会をいただいたりと、本当によくしていただいた。この場を借りて、お礼申し上げたい。

ただ、ひとつ感じたのは、社会が有する学問領域における多様性が欠けているのではないかということだ。日本企業に限っていえば、大学での専攻と就職先の事業領域が必ずしも合致せずとも、雇用後のポテンシャルを考慮しての採用活動がなされている。そのため、学生の学問の幅も各々の興味の幅と同じ広さが確保され、結果的に会社にも同様の多様性が確保される。しかし、経済や会計など実用的かつ実践的な学問に学生が集中するマレーシアでは、そうはいかないだろう。 発想力の源泉となるチャネルの欠如が見られた点はいささか気になったが、国それ自体がもつ多様性と社員の上昇志向を力に、イノベーションをしかけてゆくだけの十分な素養があると知見した。

~おわりに~

マレーシアがロングステイ先として7年連続第1位を誇る人気の秘訣のひとつには、この国の寛容さがあるのではないだろうか(1)。日本社会では「正確に」生きることがもとめられる。たとえば、時間が正確なことで有名な日本の新幹線を秒単位で運行させられるのは、それだけの精神プレッシャーのもとで仕事をしている人間がいるからである。そんな国に生きる人間がマレーシアに惹かれるのは、ゆったりとした時の流れを可能にする寛容さにこそである。マレーシアのもつ不思議な力を感じながら3週間を過ごしたいま、そう思うのである。

その寛容さを誰よりも示してくださったのが、マレーシア政府観光局並びに日本留学経験者同窓会であるALEPS、そして私たちの訪問を受け入れてくださった機関、企業の皆様です。未熟な私たちを寛大な心で受け入れてくださったうえに、単なる旅行では見えない世界、経験できないことをたくさんさせていただきました。この研修を糧に、アジア一大文化圏の架け橋となる人材となれるよう精進してまいります。
 本当に、ありがとうございました。また、恐縮ではございますが、こうしてお会いできたのもなにかのご縁だとおもっております。毒を食らわば皿までもと申しますゆえ、ぜひ今後ともお世話していただければ幸いでございます。