私とマレーシア

『1人のアジア人として』

山口 雄也(横浜市立大学)

 ルックマレーシアプログラムの派遣学生として3週間のプログラムについて振り返る前に、1つ想像して頂きたいと思います。マレーシアの首都クアラルンプール(通称KL)。その年々近代化が進められている街のシンボルともいえるペトロナスツインタワーに向かうためにLRTと呼ばれる高架鉄道に乗るとします。この、ただ単に電車に乗って目的地に行くという単純作業、東京で山手線に乗るのと同じではないかとも言われるでしょう。しかし、ここではそれ以上の、エキゾチックとも表現できる体験ができます。

 空いている座席に座り、前を見ると中国系アベック、左にはインド系ビジネスマンの集団、反対側にはニカーブと呼ばれる目だけを出し、後は全身黒で覆われた中東の女性達、そして隣には鮮やかなスカーフで顔だけを出しているマレー系ムスリムの女性。マレーシアでは、ただ単に電車に乗るだけでも多民族国家マレーシアを感じることができます。人口が13億、それ以上といわれる中国、10億以上と言われるインド、他にも中東や東南アジアの人々。総人口30億くらい・・・その全ての国籍が存在するマレーシアはもはや、アジアの縮図といっても過言ではない気がします。

 今回のルックマレーシアプログラム(LMP)の派遣学生の中で自分だけが3回目のマレーシア滞在ですが、こうも自分が惹かれる原因も、多民族国家であり、それぞれが共存することによって出来る空気から何から全ての物が発するオーラが原因だと思います。その環境の中で3週間、ウルルン滞在記のような環境で地元の農家に転がり込んだホームステイや、ヒルから逃れ、夜のジャングルを走り回ったタマン・ネガラ国立公園、大学訪問で友達になった現地学生と自由行動の時間に遊びに行ったこと、毎晩決まった部屋に集まり、専攻も大学も考えも違う10人の学生語り明かした3週間の日々。簡単に3~4000字にまとめられるはずはありません。実際にこの文章を書いているのも締め切り前夜の24時間営業の某ファーストフード店。どうしても知りたいなら実際にLook Malaysia Programに応募して参加してみてください。何かしらの形で人生が変わるはずです。

 もし全く海外に行ったことがない、もしくは海外は好きだけどハワイにバカンスや、ヨーロッパ旅行に行く人にとって東南アジア、特にマレーシアのイメージを聞いても皆無だと思います。実際自分がそうであったように。もし仮にイメージが出てきたとしても、治安が悪い、英語すら通じない、ご飯がおいしくない、お腹を壊す、街がごみごみして汚く落ち着かないなど悪いイメージが先行するでしょう。それは日本人として、世界的にも有名な国であり、一般的に裕福な国であるからではないでしょうか、それも正論だと思います。実際自分がそうであったように。けれど、もしマレーシアは多くの点で日本を超えていると言われてもまだ平然と日本人だからという優越感に浸っていられるでしょうか。

 例として観光客の例を挙げてみます。2009年の日本の観光客数は680万人。一方マレーシアの観光客数は2300万人です。これだけでもかなりの衝撃でした。また、2020年には東南アジアで1番に先進国入りする計画があるようです。さらに国民の所得も2~3倍にする計画があるといいます。これだけ考えると、マレーシアという国はあなどれないと考えてしまいます。実際にマレーシアの首都クアラルンプールの中心街に立って周りを見渡してみると、ある場所では世界を代表する大手銀行の高層ビルが乱立している風景に圧倒されます。またある場所では全ての店を見て回るのに何時間もかかるようなショッピングモールで埋め尽くされています。さらに、ある場所では中華系の現地人向けの屋台が立ち並び、いくら挑戦好きな観光客でも圧倒されるような熱気が満ちている場所もあります。これらの風景が1つの街のあらゆるところで出会うことができるのは世界でもここだけかもしれないと思わされました。

 しかし、ここまで書いてきたことはある程度分厚いガイドブックなら書いていることだと思います。もし書いていなくても、2~3日の小旅行にいくだけでも味わえることです。では、3週間の間ルックマレーシアプログラムの学生として派遣されて何を学んだといえるのでしょうか?

 実際にマレーシアで3週間過ごした中で一番印象に残っているのは現地の人々との関わりです。泊まっていたホテルのスタッフの方々、前半ガイドをしてくれた李さんや政府観光局のヌルルさん、ホテルの前の屋台のウエイター、タクシーの運転手、現地の学生、日本企業の人、ホストファミリーやそのお隣さん、ディスコのお立ち台に一緒に上がったドイツ人、回転寿しの店で日本語メニューと格闘する新人板前、そして様々な場所ですれ違った何千、何万という人々。3週間いなかったら出会わなかった人々。これらのことを経てプログラムが終了し、羽田に降り立ってはや2週間。毎日何か足りないな・・・と思いながら心になにかぽっかりと空いた気分(やっとこの言葉の意味が分かったかもしれない)からいまだに抜け出せていません。

 よく言えばきっちりとした社会ができている日本。どこに居ても、何を食べていても、何をしていても不満のかけらすら起きません。むしろ、できすぎているくらいに完璧な日本の生活。逆に、マレーシアを悪く言えばどこもかしこもおおざっぱに感じます。屋台のご飯の価格は店員の判断次第。タクシーの料金も交渉が多いです。客がいない時の店の店員はどこでもみんなFacebookをしたり思いっきり見える所で弁当を広げています。日本で同じことをすれば確実にクレームが殺到するだろうし、その前に働かせてくれるはずがありません。

 別にこのどっちかを選べと強制している訳ではありません。でもマレーシアに3週間いた自分にとってみると、マレーシアの方がおおざっぱでいいなと考えてしまいます。マニュアル化されているよりもより人間がそっくりそのままでていて面白いのです。

 電車1つ乗るにしても運転手がぼそっと次の駅名を言うだけ。服を買うにしても店員と激しい値切り交渉をします。クアラルンプールから車で2時間走った中華系の田舎の花屋のおじさんは元々HITACHIの日本工場で働いていたらしく、日本語が少し通じ仕事そっちのけでその話で盛り上がります。白熱の値切り交渉をしたバングラディッシュ人と友達になり、次会ったときからは抱き合って挨拶をするようになります。その中で人と関わっているというというdeepな体験はちょっとやそっとではできるものじゃないと思います。何をしている人とかに関わらず多くの人と様々な場面で関わることができます。それが日本ではないとこの2週間でひしひしと感じています。

 確かに、値引きなら大阪に行けばいい、人とのつながりなら田舎に行けばいいということはあるでしょう。しかし、東京は?横浜は?そんな雰囲気ががっつり出ている場所は殆ど皆無に近いでしょう。この違いはどこから出ているのでしょうか。

 その答えは、毎晩10人の学生と語り明かしていた中で出てきた3つの言葉にあると思います。『トランスナショナル』と『インターナショナル』と『ドメスティック』です。自分にとってトランスナショナルという言葉は初めてでしたが、インターナショナルの発展系、言うならばマレーシアは多文化共生ということばが当てはまると思います。一方で日本はドメスティックだと考えます。国際化とはいえども、未だに言語の問題や国際競争力が弱いといわれています。この違いが、マレーシアで3週間deepな体験をした後に日本に帰って実感したことです。

 しかし、日本がドメスティックということで、日本を卑下しているなんてことは決してありません。最後に自分が言いたいことは日本とマレーシアの未来に向けて、両国の関係がより親密になることでお互いの良い点を共有できるのではないだろうかということです。上でも言ったように、日本はいま国際化という言葉がまだ十分に明確化できていないと思います。また、3月に起きた東日本大震災の影響で日本全体の元気がなくなっています。これを改善するためには、それこそマレーシアが特化している観光やサトゥマレーシア(マレーシア1)でマレーシアにいる全ての民族が1つになるべきという政策のように、日本も今こそ1つになって頑張るときだと考えます。

 また、一方でマレーシアは今2020年までに先進国入りするという計画のもとにより工業化を進めています。けれど、工業化につれて様々な問題、例えば環境問題があります。この工業化につれて起こる問題は、日本の経験を活かせば何かしらの助けになるのではないでしょうか。日本の発展の経験を海外に伝授する、もしくは売る。これが、日本がこれからマレーシア、さらにはアジア全体と関わって行く活路ではないだろうかと思いました。

  最後に、これからの自分はどうしていくべきだろうかを考えたいと思います。昨年のAPECで事務局長のヌール氏が言っていた言葉が今も自分の心に刻まれています。それは、「ヨーロッパやアメリカにいくのはもう古い。いまこそアジアに目を向けるべきだ」という言葉です。

 別にアメリカやヨーロッパがだめだという訳ではありません。けれど、自分がこの言葉を考えながらマレーシアで3週間滞在して思ったことは、東南アジアはある意味おおざっぱだったり何かがまだ不足していることは否めませんが、そこが自分にとっては面白かったし好きになる要素が十分にありました。色々な国籍の人がそれぞれお互いを助け合いながらそれでいてお互いが独立しています。その雰囲気の中に身を置いていきたい、そう考えさせられる体験がマレーシアの3週間で非常に印象に残っています。

 これからは、日本を背負って行く1人の日本人として、そして同時にアジア全体を背負って行く1人のアジア人として、これから自分が出来る多くのことを経験し、活躍していきたいと思います。

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