私とマレーシア

小林 礼奈(日本大学)

 今回ルックマレーシアプロジェクトに参加した成果を、このエッセイに託したいと思っています。まず、マレーシア国内でのプロジェクトの概要を説明した後、個人的に感じたマレーシアから学んだ重要な要素について言及したいと思います。そして、最終的な結論としては、このプロジェクトの体験談を踏まえて「日本人として大切にするべき事は一体何か。」マレーシアから学んだことを述べていきたいと思います。

 まず日程ですが、8月16日から9月6日の21日間の滞在でした。滞在場所は、主に首都クアラルンプールの中心街でした。8月21日にマラッカへ移動し2泊しました。また、8月25日には、カンポン(田舎)へ2泊ホームステイをしました。そして、9月1日にジャングルトレッキングをするためタマンネガラで2泊しました。

 各々の都市の様子ですが、一番長く滞在したクアラルンプールでは、観光客に適した巨大ショッピングセンターが数多く存在し、交通面でもモノレールやタクシーが利用しやすく、ホテル前からの乗るタクシーが価格や安全面において観光客にとって最適です。街中でも、目的地を伝えた後に口頭の値段交渉次第で乗車を決める点などは、日本と違います。また、基本的に歩行者用横断歩道が普及していない所やマンホールや側溝などの道路整備が充実していない所もあります。

 交通事情に関してこの2点は、とても驚きました。特に、大学に入学して中国語を履修している私の場合、チャイニーズのタクシー運転手さんとの会話が必然的に盛り上がるため、日本語や英語で会話する以上に様々な事を教えてもらえました。交通手段として使うだけではもったいないと思います。

 決して毎回そういう展開になるわけではありませんが、言語を選んで、移動時間も楽しめることは、クアラルンプール流の楽しみ方の一つだと思います。気軽に大学で習っている第二言語でコミュニケーションを図れる点において、日本にはないマレーシアの良さを強く感じました。首都であるため、多言語話者が比較的多いように感じます。この体験談から、第二外国語習得に力を入れている学生には、お勧めの国だと思います。

 次に、マラッカですが、14世紀に隆盛を遂げた貿易都市として溶岩で建てられた遺跡があり、高台からインド洋を眺める事ができます。中華系の住民が多いため街並みや雰囲気自体もクアラルンプールとは異なる独特な温かみを感じました。川を越えた先に開かれている夜市は、日本の夏祭りを彷彿させます。日本とは違いますが、近代的な首都と比べて、ほっとするどこか懐かしい気持ちになる場所です。また、マラッカからシンガポールまで行くことも可能なので、シンガポールへの観光に繋げることもできる観光地だと思います。

 その次はホームステイ。お世話になったバングリス村はパーム園に囲まれており、ありのままのマレーシア人の1日を見ることができました。ラマダーン(断食月)時期であったホームステイ先の家族は、日中は静かに生活し、夕方から夜にかけて活発になるという生活サイクルは意外でした。村内の外灯が、電灯ではなく、パーム油を注いで燃やすものが一般的に使用されていた事もその土地に行って生活した事で分かる事だと思います。

 最後にタマン・ネガラですが、まずクアラルンプール市内からバスで3時間、船で2時間移動しました。両岸は緑が生い茂り、ミルクティーのような川を進み、高台にある宿泊施設を利用しました。滞在客は、欧米の方が多い印象でした。日本人観光客も数名見かけました。食堂ぎりぎりまで、猿や猪、トカゲが出て、動物好きの方や自然環境への適応力が高い方には、お勧めの観光地だと思います。

 私が今回のプロジェクトで、マレーシアの人々に出会った事を偶然の出来事とは思っていません。このプロジェクトの告知を知るきっかけは、大学の授業で、14世紀に隆盛を遂げたマラッカ王国の歴史的変遷をまとめるレポートを書くために資料集めしている最中の出来事でした。募集を知り、マレーシアについて何も知らない、まして東アジアに関心を持った学生を派遣してくれるのだろうかと不安を抱えて応募したのを覚えています。

 そんな雑念を払ったのは、私の持っていたウォークマンがmade in Malaysiaだったことや、大学の授業やマスメディアで、「マレーシア」というキーワードが頻繁に出てくるようになったことです。そうした些細な出来事の重なりによって、普段気に留めていなかっただけで、実は身近になりつつある国だということが次第に分かってきました。

 実際に派遣して下さった方々の決断があって初めて私のマレーシア派遣が叶った事は、心より感謝しています。そうした数えきれない多くのきっかけが、マレーシア派遣に繋がったと思っています。様々な熱い思いに支えられて派遣メンバーとして選抜されたのですが、この段階では、アジアとして親近感を感じていませんでした。理由としては、物理的な距離に加えて、留学生や親しい友人が身近にいないということが挙げられます。

 しかし、アジア地域という1つの枠組みで考えた時に、マレーシアの存在は大きいものです。BRICSに含まれている中国とインドの2つの国の民族がマレーシア国民の4割を占めている事は、今後のビジネスや将来の関係性においてアジアの要になる、そんな可能性を現地の活気からも感じます。

 一方で、3月11日に起きた東日本大震災以来、原子力発電、政治、行政、ありとあらゆる問題の歪みが浮き彫りとなり、若い世代の私達にとっては危機感を感じながら国外研修に参加する事は、喜ばしい反面もどかしい思いとの板挟みでした。日本を離れて、実際にマレーシアから日本へ持ち帰るべきものがあるのか。その答えは、容易く見つかりはしませんでした。

 しかし、日本を離れたことで、マレーシアの文化や思考に触れ、凝り固まっていた日本的な感覚から解放された事は言うまでもありません。この感覚こそが、マレーシアならではの外国人への寛容性であり、観光としての大きな強みになっているでしょう。

 では、実際にどのような場面で、マレーシアの外国人に対する寛容な感覚に触れたのか。実体験をもとに、説明していきたいと思います。

 私が、初めてクアラルンプール空港に到着した時に、大きな通りで迷子になっていた私は、マレー系のおばさんから「トイレあっち。」といって話しかけられ、非常に驚きました。なぜなら日本人観光客は、中国人や韓国人の観光客から比べると圧倒的に少ないからです。そして、その圧倒的に少ない日本人が話す日本語を理解するマレー人に、LOOKEAST政策の浸透と根強さを感じました。

 その後は、行く先々で話題のきっかけとして「どこから来たの?」と聞かれることがありました。ここも日本人とは違った感覚の1つだと思います。なぜなら、日本人は、「どこの国の人ですか?」と確認する場合が多いからです。マレーシアでは、複数の民族が共存しているので、例えばチャイニーズであったとしてもマレー人のアイデンティティーを確立している事が多いので、人種で区切る事は稀なのでしょう。マレーシアでは、おおよそ話題の1つとして聞いているのであって、本心は何人だろうと構わないというような雰囲気が、にわかに伝わってきました。そして、そうしたやり取りは決して珍しくありません。

 日本でも一般的に大型ショッピングセンターに併設されているようなフードコートがマレーシアでもありましたが、多民族国家であるため食事の種類が多かった事が、印象的でした。主に、マレー料理・中華料理・インド料理・韓国料理・日本料理があり、シンガポール料理や土鍋料理などオリジナル料理もありました。その日の気分に合わせる事ができるので、食事でもマレーシアを楽しめると思います。

 さらに、遠方の観光客から現地の人まで幅広い民族が、フードコート内を共有しているため、必然的にテーブルを共有することが度々ありました。すると、海外に来たという事もあり、好奇心から隣の人と世間話が始まります。結果として、食卓は、language exchangeの場として早変わりします。マレーシアで出会った多くの人が多言語話者であることや、既に日本に関心のある人が多いことが、よりコミュニケーションを加速させる理由になっていると感じました。

 そうしたコミュニケーションをとる中で、マレーシア人の海外旅行というのは、日本の海外旅行の感覚とは一味違うことが分かりました。それは、周辺国に友人と気軽に遊びに行くということです。島国である日本から海外に行くことは、多くの人が“旅行”というより“観光”というイメージを持っているかと思いますが、マレーシアでは、周辺国の物価の安さが決め手となって遊び感覚で出国している人も多い印象を受けました。逆に、マレーシアに来ている観光客は「短期間で数カ国訪れたのちマレーシアに滞在している」という人も多く、日本ではなかなか見かけない新しい観光スタイルだと思います。

 私自身は、日本へ来るからには、日本のよい所をいっぱい見て帰ってほしいという思いがあるので、例えば、日本で知り合った外国人観光客が、「中国・韓国を訪問したのち、東京に来ました。明後日帰ります。」と言われた場合、「日本は東京だけではないですよ。もっと日本らしいところがたくさんありますよ。」と思わず口を挟みたくなってしまいます。ですが、マレーシアの人々は国に対する関心よりも、観光に来たその人に関心があるのでしょう。だからこそ、異文化の混在や他民族性があることで既に国内のグローバル化が浸透しています。つまり、異民族という感覚はあるものの、共存という形で互いの文化に寛容な態度を日常的に示している事は、グローバル化が進む今日では、貴重な感覚です。

 また、マレーシアに到着してから当分の間、『インド人!!マレー人?チャイニーズ?』などという意識が抜けませんでした。これは、一概に日本は単一民族であるという意識によるものだけではなく、日本国内で関わる外国人の割合が少ない事や関わる外国人の偏りを示しています。そして、国内のグローバル意識に疑問を感じる瞬間でもありました。

 今後ますます対外交流が進むにつれて、国内と対になる国際という言葉よりもグローバルという概念を兼ね備えた人材を育成する事が今後の次世代の課題でしょう。勿論、日本人的意識を持つことも海外に出る上で重要です。しかし、一方で、外国や異国という仕切りを無意識な感覚で相手をみることにグローバルな観点との矛盾を感じます。日本人が、グローバルという感覚を兼ね備えた時に、現段階の私達のような人種や文化の異なる背景を持った人を無意識的に区切る事はあるでしょうか。

 この課題を解決する方法として、トランスナショナルに近いマレーシアの現状から、日本人がグローバル思考になるヒントを得ることは可能でしょう。そして若い世代にマレーシア観光が広まることで、グローバル感覚の持ち帰りが期待できると思います。マレーシアの魅力というのは、ただ観光名所がある。物価が安い。という物質的な面ではなく、同じアジア人としての親しみとマレーシアの一歩進んだグローバル感覚にあると思います。

 上記において、マレーシア観光は、日本の未来に繋がる観光となり、今後の日本に柔軟性をもたらす素晴らしい可能性を秘めていると確信しています。

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