私とマレーシア
石田 阿紗乃(慶應義塾大学)
緯度3度。太陽の強い日差しに照らされながら、8月17日、私は常夏の国マレーシアの地を踏みました。私にとってこれが初めての東南アジアということもあり、一抹の不安を抱えていましたが、思いの外すんなりと自分は現地に順応できていました。というよりむしろ、「外国人」として特別扱いされているという感じがしませんでした。
もちろん振り返ればタクシーで相場よりもかなり高い運賃を請求されたことを後から知って悔しく感じたという、取るに足らない思い出もあったけれど、日本のように外国人だといってジロジロ見る者や、外国人の英語での注文にあわてふためく店員を見かけることはありませんでした。日本のように何事に対しても丁寧で、気持ちが良いサービスを提供されることがあったかというと疑問の余地があるものの、地域の人にも我々にもひとしく提供してくれる、観光的でないローカルなおもてなしを受けることができました。
私が外国人扱いされていないように感じた、その所以は何でしょうか。私は2つの理由を考ました。
第一に、マレー系・中華系・インド系と、多民族が暮らすマレーシアでは、自分とは異なった風体の人と接することは日常茶飯事であるということ。マレーシアの特徴として寛容性が挙げられる、と耳にしたことがありますが、これも多民族国家と深い相関があるでしょう。
第二に、観光客に慣れている、ということが挙げられるかもしれません。マレーシアは観光立国です。2009年に訪れた旅行者数は、日本が679万人、マレーシアが2,365万人。およそ3.5倍もの差が開いているのです。この数字を見ればマレーシアの接客業に従事する人々が日本と比較して「観光客慣れ」しているのも納得できます。
ところがマレーシアは日本のように横断歩道というものがほとんどなく、自分でタイミングをみはからって横断しなければなりません。それに、庶民の足として利用されているバスは詳細な路線図や車内アナウンスがなく、初めてマレーシアを訪れた旅行者が乗りこなすのはなかなかに難儀です。ゴミが路上に落ちていることだって珍しくありません。
それでも国境を越えて多くの人が訪れる、というからにはよほど素晴らしい魅力があるのでしょう。いったいマレーシアを観光立国たらしめているものは何でしょうか。英語が通じるから?多種多様な文化に触れることができるから?治安が比較的良いから……?
我々が活動の拠点とした首都クアラルンプールに対し私が抱いた第一印象は「不思議な都市」でした。都市化が進んでいないわけでもなければ、全てが都市化されているわけでもない、つかみどころのない街です。このプログラムに参加すると話したとき、周囲の友人や親せきは「マレーシアってどんな国?」と決まって尋ねるのでした。そしてその度私はうまい返事をかえせずにいました。
そんな私も3週間の滞在を終え帰途につく飛行機の席では、自分のなかで明確な答えを持つことができていました。帰国後同じような質問をされることが何度かありましたが、そのようなときは「マレーシアって東南アジアの玄関なんだよ。」と答えるようにしています。
東南アジアに関わらず異文化、異国の地というのは人によって好き・嫌いが出てくるのは当然のように思います。何事も挑戦してみなければ分からないのは確かですが、金銭的な意味でも時間的な意味でもコストのかかる海外旅行です。せっかく行って合わなかったというのでは少し勿体ない。だから例えば、東南アジアに興味を持っているが、いきなりラオスやカンボジアに行くのは躊躇してしまうという日本人や欧米人は、まずクアラルンプールの西欧化されたホテルを拠点として、そのうえで屋台街などローカル色の濃い場所を訪れてみるのがよいでしょう。
もし自分が「合わない」と感じたのであれば、ホテルの契約しているやや高めだが信頼のおけるタクシーに乗って、ヨーロッパナイズされたメガショッピングモールのなかの自国でも立ち寄るようなお店やマレーシアの高級ブランド店を巡って観光すればよいのです。そして、もし東南アジアの風が自分には心地よいと感じるのであれば、公共交通機関でもモノレールやLRT、KTMコミューターなどに挑戦したり、現地の人がよく行く飲食店でお腹を満たすのもよいでしょう。そして個人経営の小さな宿泊施設での延泊することや、他の東南アジア諸国に足をのばすのも素敵です。
他方で西欧諸国に憧れを抱きますが、いきなりアメリカやフランスに行くのは物価も高くためらわれる東南アジアの人にとっても、西欧化された施設が多くあるクアラルンプールは魅力的な場所になるでしょう。
このような理由で私は、クアラルンプールは、マレーシアは、東南アジアの玄関であると思うに至ったのです。そう思えば、なるほど多くの観光客がこの地を訪れ、気に入るわけであると合点がいきます。
翻って私の住む日本はどうでしょうか。先の震災に牽引された自粛ムードが不況を煽り、円高とも相まって日本社会は閉塞感に包まれています。産業の空洞化・国際分業化により、就職難・失業者増加といった社会問題が生じています。
第二次世界大戦後「Japan as No.1」と言われるまでに日本がなれたのは、日本の技術力が世界に認められたことによるものが大きいです。偏在的に存在する石油等の天然資源を有さない日本では基幹産業として工業が発達し、技術立国として高度経済成長を経験しました。
ところが最先端分野・製造業などでは安価な労働力と技術力を有する他国の台頭により日本は遅れを取り、最高水準の科学技術を有する国とは言い難くなってきました。工業立国・貿易立国の限界が浮き彫りになり始めたのです。
日本は科学技術に強く依存する形で発展してきましたが、他の産業に目を向けず、疎かにしていた部分は無いでしょうか。私は、そのように軽視されてきた産業の一つに、観光業があると考えます。
観光業にわざと目を向けてこなかった時代もありました。80年代からはじまる貿易摩擦では強い輸出競争力を有していた日本の貿易黒字が問題になり、日本が外貨を獲得することは海外からの顰蹙を買うこととなっていました。こうした背景から行われたのが1986年には当時の運輸省がテンミリオン計画という、海外旅行倍増計画です。海外から人を呼び込むというのと、逆のベクトルのプロジェクトを政策的に行ってきたのが当時の日本です。まだバブルが崩壊する前の話になります。
そして約20年後の2004年度には、国土交通省が中心となりビジット・ジャパン・キャンペーンというプロジェクトが持ち上がりました。2010年までに年間で1,000万人の外国人が訪日することを目標としましたが、現実には目標年の訪日外国人旅行者数は日本政府観光局の発表で861.1万人。達成には及びませんでした。
こうした流れのなかで今年の9月16日に日本経団連が発表した提言「成長戦略2011」では、「観光産業と農業は、地域活性化を図る上で重要な産業であり、その振興は、わが国経済の活性化の鍵を握る」とし、経団連自身も観光・農業振興に力を入れることを明らかにしました。
今後日本において、観光業はますます脚光を浴びるようになるのでしょう。日本のどのような魅力を、どのようにアピールし、どのように人々を迎えるのかを真剣に考えるときが来ています。クアラルンプールが東南アジアの玄関というような独自の魅力を持つのと同様に、日本の都市もその場「ならでは」のアピールポイントを見つけたい。かつてペナン島に滞在していたヘルマンヘッセもこんな言葉を残したといいます。
「君自身であれ!そうすれば世界は豊かで美しい!」
マレーシア、日本、そして私。どこででも・だれでもではなく、「ここでしか」「自分にしか」できないことを大切にしていきたいと思います。