私とマレーシア

温かな国マレーシア

程島 海帆(成蹊大学)

「マレーシアは開放的で、包容力のある国だ。」

今回の3週間の研修で私が持ったマレーシアに対する感想です。

 私はマレーシアの人々と自分との間に距離や壁を感じることがありませんでした。普通、海外へ行けば外国人としての自分を強く意識せざるを得ません。人種・言語・宗教など環境が異なるからというのもあります。けれど、何よりも人々が「観光客」もしくは「外から来た人間」という意識を持って私たちに接してくるからでしょう。現に私たちも日本で暮らしている時、外国人を見かけたりすれば「あっ、外人だ」と思います。店に買い物に来れば「言葉通じないのではないか。面倒だな」と心の中で呟いてしまいます。ところがこのマレーシアという国と人々にはそんな意識は無いようです。事実、マレーシアで過ごした3週間、私は外国人として自分、マレーシアという外国にいる日本人としての自分を意識することは全くありませんでした。

 もちろん、日本と環境は全く違うため異国の地にいるという実感はあります。コミュニケーションは主に英語。マレー語・中国語・タミル語もそこかしこで聞こえてきます。レストランや土産物屋の店員の人達は、挨拶程度の日本語なら話せる人もいました。

ホテルの周辺

 ホテルの周りには屋台が軒を連ね、ドリアンの強烈な匂いが鼻を突きます。食事は香辛料が強く、油も多く使うため腹の調子は崩し易い(エスニック料理に慣れている自分も、1度腹を下してしまった)。また、イスラム教徒が多い為に豚肉料理はあまり見かけず、代わりに鶏肉料理をよく見かけます(この鶏肉料理、美味しいのだが味のバリエーションが少ないのが残念。流石に3週間も似たような味付けの鶏肉ばかりだと嫌になるものである。おかげで私は未だにケンタッキーに行く気になれない)。

 何よりも困ったのは、やはりトイレ。マレーシアのトイレには紙がなく、代わりに水の出るホースが設置してあります。個室に入る前に紙を取っておかないと大変なことになるので、これから旅行へ行く人は気をつけてください。水に流せるティッシュを用意すると良いでしょう。道路では車やバイクは凄いスピードで走り、人々はその波が切れる一瞬の隙に堂々と横断していきます。タクシーに乗るときはまず値段交渉、電車はインドほどではないが定員オーバーで50分待ち。

 このように日本との違いは挙げればきりがありません。しかし異なる環境にいながらも、私はマレーシアという国で居心地の良さを感じていました。なぜならば人々と自分の間の壁を意識することがなかったからに他なりません。

KLのスーパー

 マレーシアの人々の自分達への態度は観光客や外国人に対するものではなく、同じマレーシアに住む人間へのものと変わりがありませんでした(まぁ、タクシーや土産物屋では随分と高い料金を提示されたりはしましたが)。

 例えばスーパーのレジ係は、私を含め3人が連続で高額紙幣を出したのが気に食わなかったのでしょう、「チッ」と盛大な舌打ちを私にしてくれました。観光客や外国人ではなく、スーパーに買い物に来た客の1人として見てくれているからこその態度でしょう。不愉快に思う以前に、その自然な態度に私は物凄く感動しました。「あぁ、確かにこんなに安い買い物で1万円とか出されたらイライラするよね」と同情すらしてしまいました。

 また、ホテルの従業員の人達の笑顔の接客は日本のマニュアル化された接客とは違っていました。特に朝食の時に必ず声をかけてくれる女性の従業員は、「オハヨウゴザイマス」と片言ながら日本語で挨拶をしてくれました。お返しに、私は毎朝マレー語で「Selamat pagi」(マレー語でおはようございます)と挨拶。それがマレーシアでの3週間限定の私と彼女の朝の恒例行事となりました。

 ホームステイ先の村の人々たちも村の人間・家族のように接してくれました。初日に、中学生くらいの男の子達が、村を散策中の私たちに悪戯を仕掛けてきたのには驚きましたが、仕返しをしておけば彼らと仲良くなれたかもしれません。

 ホストファミリーのお祖母さんは孫のように私たちを可愛がってくれました。短パンを履いていた自分に巻きスカートを着せて、「Cantik」(マレー語で可愛い・綺麗という意味)と何回も言ってくれた彼女は、私に祖母を思い出させてくれました。

 姪っ子のナジュアはまるで姉のように慕ってくれました。本当に愛らしい女の子で連れて帰りたいと、本気で思ってしまった程です。ホームステイに来た日本人ではなく、久しぶりに実家に帰ってきた家族の様に私たちに接してくれる彼らの優しさに、心が満たされた3泊4日のホームステイ体験でした。

マラッカのチャイナタウンの夜

 マレーシアの人々が「外国人」という意識を持って私たちに接しないのは、「多民族・多宗教」から成るこの国だからこそだと思います。もちろん、観光地として栄えているから、観光客の存在が珍しくないのもあるでしょう。けれども、それを言えば日本も同じです。しかし日本人は「外国人」を強く意識しています。2つの国の大きな違いは「単一民族国家」と「多民族・多宗教国家」という点です。

 違う人種・異なる宗教を信仰する人々が混在する環境は、マレーシアにとっては当たり前のことです。クラスメイト・職場の同僚や上司が異なる民族なのは普通のこと。そんな彼らにとって、日本人の私がKLを歩き回っていたとしても違和感はありません。また、話しかけられても身構えることもありません。人々がごく普通に受け入れるのだから、自然と街も受け入れる雰囲気を醸し出すのです。それが私の感じた「開放感」に繋がっているのだと思います。

 3週間は決して長い時間ではありません。観光という点から見れば確かに長期滞在ですが、1年以上の単身赴任や留学のことを考えればとても短い時間です。けれど、その短期間の間に私はクアラルンプール(KL)という街、マレーシアという国に自然と馴染んでいる自分に気付きました。1週間でマレーシアの空気が肌に馴染み、2週目にはホテル近辺を自分の家の近所のような感覚で歩き回り、現地の人々の中に溶け込み、英語の会話が日常となりました。3週目にはKLに帰ると安心感を覚え、日本に帰国することを不思議に思うようになっていました。それぐらい、私はマレーシアという国に馴染み、溶け込んでいたのです。恐らく、マレーシアの人々のオープンな姿勢が、私たち外の人間がつい抱いてしまう壁を取り払ってくれているのでしょう。

 もう一つの「包容力」もやはり、多民族・多宗教国家:マレーシアだからこそのものでしょう。大変興味深いことに、この国では異なる民族・宗教が混ざり合うことなく、独立して存在しています。しかし決して反発しあっているわけではなく、上手く共存しているのです。お互いが異なる存在であることを認め合い、それぞれの文化や習慣を尊重し、干渉をせず、自分達のペースで暮らしを営み続けています。

Sunway Universityの食堂 様々な国の学生が集う

 私たちはどうでしょうか。残念ながら「学校」や「職場」という小さな環境の中でさえ、私たちは上手く共存できていません。同じ日本人同士である。文化も言語も暮らしている環境も同じはずです。それにも拘らず何故か、私たちは互いを認め合うことも、尊重することも出来ずにいます。自分と違うことを認め、自分のペースを保つだけの心の余裕が私たちにはないのです。

 マレーシアにあって日本には足りない「包容力」と「開放感」を学ぶべきだと私は考えます。これから世界との繋がりがどんどんと身近なものになっていく中で、相手を迎え入れられるように、異なる文化を認め、尊重し合えるだけの余裕を持てるようになるべきです。また、日本はアジアへと目を向けていく必要もあるでしょう。今まで欧米諸国とは関係を築いてきましたが、アジア諸国に目を向けることが多かったとはいえません。しかしこれからは「アジアという国の中の日本という民族」という位置に日本は立つべきです。そしてアジア周辺諸国との一層の協力と一層の発展を目指していくべきだと思います。

 最後に、今回出会った全ての人々に「Terima kasih」(ありがとう)。

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