第3回若者トラベル研究会マレーシア海外研修リポート

アジアは大交流時代を迎えている!

株式会社ワールド航空サービス
菊間 陽介

「アジアは大交流時代を迎えている!」そんな熱い想いのつまった言葉と共に、このJATA若者トラベル研究会は始まった。

かつて海外旅行とは、「一生に一度は行きたい」という夢のまた夢の商品だった。しかし、交通の便の発達に伴い、「夢の海外」が夢ではなくなり、この島国においても海外が近くなった。昨今では、インターネットの発達と普及により、人々は今まで以上に海外の情報を得やすくなり、また、ローコストキャリア (LCC)やオンライントラベルエージェンシー(OTA)の台頭により、旅行に行くことがより一層簡単になった。それは同時に、今まで海外旅行を牽引し続けてきた旅行会社離れが始まったということでもある。また、このような便利な環境になったことが逆に作用したからか、「夢の海外」が「いつでもいける海外」と概念が変わり、現代の若者の海外旅行離れも進みはじめた。
 このような状況を何とか打破したい、そんな想いを持ち、各旅行会社から10名が霞が関に集まった。熱い想いを胸に抱えたメンバーたちは、マレーシア政府観光局の徳永氏が語る「アジア大交流時代において、多民族が集い、熱狂の渦の中にあるマレーシア」という魅力的なデスティネーションとその言葉の魔力に魅せられた。2回の座学、箱根合宿において、今後の旅行業界について、それぞれのメンバーが悩み続け、必死に考えた。与えられることが当たり前となっていた日本の環境に慣れていた我々にとって、自分で課題を探し、自分で目標を立て、それを達成するための方法を探るということは、新鮮な体験でもあった。すべてが手さぐりから始まったこの研究会ではあったが、それぞれが課題を見つけ、マレーシアの研修旅行に臨んだ。

マレーシアでの行動と気付き

大学教授が語る日本とマレーシアの学生の違い

急激な経済の発展を見せているASEAN諸国において、新しいビジネスモデルや今後の旅行業界に何か参考になるものはないか、ということを探るため、ルック・イースト政策ならぬ、ルック・マレーシアを行った。そのプログラムの一環として、マレーシアの大学の観光学部、教育機関(専門学校や大学)、マレーシアの日本専門旅行会社、現地日系旅行手配会社、メディカルツーリズムを行う病院、ハラル産業、日本大使館、MICE機関、三井アウトレットパークを訪問し意見交換をした。その中でも今回は、特に印象に残り、考えさせられた2つのことについて記したい。


まずは、観光学部を持つUniversiti Sains Malaysiaの教授からお話しを伺った。彼は、日本の大学の留学経験も持つため、マレーシアと日本の大学生の両方を詳しく知っていた。両国の学生の違いを尋ねると「日本の大学生は良くも悪くも真面目すぎる」という印象だ。

初心に戻らせてくれたハラルの講義

 つまり、勉強自体は真面目にやっているが、その目標が良い点数を取るためだけになっており、何故そのことについて学び、これを勉強することで何かを成し遂げたいということが見えないということだ。これには、自分の学生時代の過ごし方を含め考えさせられることが多かった。グローバルな環境で戦っていくうえでは、こうした高い意識が必要であり、自分の現在の仕事や生活に置き換え改めて考えるきっかけとなった。
 第二に、ハラル産業を視察訪問した際に聞いたある一言に、私の心は強く揺さぶられた。それは、ハラル産業の説明をする中で、「我々も旅先の人とまったく同じものを食べられないというのはわかっているが、せめて似たものでよいから食べてみたい」という何気ない言葉であった。今まで、日本はイスラーム教の人々にとっての受け入れ環境があまり整っておらず、来日時に何が食べられるかわからず困っているということは聞いてはいた。前述の大学教授(イスラーム教徒)も、ハラルフードがない際は、無難なベジタブルフードメニューかシーフ―ドメニューを提供することで解決できると話していたので、そういうものなのだと思っていた。しかし、この一言には、旅行業の根幹ともいえる概念が含まれており、何故自分が旅行業を志したのかという初心を想い起こす力があった。

活気あふれる市場

 というのも、例えば、旅人は、旅行先に非日常を求め、その一貫として旅行地の郷土料理を食べたい欲求を感じることが多い。それは、イスラーム教徒も同じであり、日本に来たら和食を食べたいと思っている人は多い。しかし、宗教の戒律を守ることと、旅行先を楽しみたいこととの間の葛藤、そして、「豚肉料理でもないし、お酒も使ってなさそうだろうから、大丈夫だろう(しかし、原材料や隠し味として本当に使用していないだろうか?)」という不安の中にいる。
 このことから、私は「旅を楽しんでいただきたい。お客様の笑顔が見たい」という旅行会社を志した初心を思い出した。また、民族や国籍、宗教が違うとはいえ、旅を楽しむという原点は、古今東西変わらないということを改めて身に染みて感じた。

この他にも、マレーシアの街を歩くと見えてくるものもあった。それは一言でいうと「共に生きる」という寛容性だ。マレーシアは、多民族・多宗教の共生、自然と人間の共生ができている国と言われる。実際に街をぶらぶら歩いてみると、モスクのすぐ横に、中国のお寺があり、ヒンドゥー教の寺院があり、そして、キリスト教の教会がある。歩いている人たちに目をやると、明らかに違う民族が仲良く一緒に暮らしている。

マレーシアの街

その光景は、旅人に語り掛けるだろう、他宗教・他民族・他国籍と共に生きる道を探し、たどり着いた国であることを。現在の世界情勢は、古の宗教対立が尾を引きずり、中東エリアなどの紛争により旅行ができない地域も多い。この寛容性を世界規模で広げることができれば、誰も嫌な思いをせずに、皆、世界を股にかけられるのではないだろうか。大袈裟かもしれないが、ここに将来の旅行業界、いや、世界平和の神髄につながるものがある気がした。今回見ることができなかった「自然と人類の共生」という光景は近い未来に再訪問するであろう将来の私へのお土産ということだろう。

JATA若者トラベル研究会

目標を何度も再確認

どの業界においてもそうだと思うが、競合他社というものはそれぞれが切磋琢磨し、競争している。協力することもあれば、敵対することもある。その関係は、自分の利害関係に影響されることが多い。そんな中、まだ20代~30代の世代において、同業他社の人々と1つの目標を共に追いかける同志として交流するという貴重な経験ができたことは大きかった。通常は、それぞれの会社の利益、自分の立場をどうしても考えての発言となるが、今回のように1つの目標を共有するということは、各々が置かれている立場や利害を超え、業界という広い視野でものを考える良い機会であった。それは歴史を紐解けば、日本という視野でモノを考えられたかどうかで、その後の進む道が変わったということと似ているのかもしれない。

今回、このマレーシア派遣プログラムは、課題のない国はないということも教えてくれた。マレーシアは、確かに共生というグローバル化が進む現代において学ぶ点もあれば、成長著しく勢いはあるものの、荒削りな部分も多く、特に旅行のツアーのスタイルにおいては、残念ながら話に聞いていた一昔前の日本のもののようにも感じた。しかし、このことも我々が同じ課題を繰り返してはいけないという原点に戻るきっかけとなり、新たな道を模索するうえで勉強させてくれた。
 最後に一つ、在マレーシア日本大使館での訪問時のお話をしたい。マレーシアの若者が日本を目指す理由の一つとして、ルック・イースト政策があげられる。それは、この政策で日本を訪れた先人たちの多くが成功し、その姿に憧れをいだいた次世代の若者たちが、「次は自分たちが!」とばかりに来日するようになったようだ。この事例のように、今回のJATA若者トラベル研究会の我々の中から一人でも多くのメンバーが成功し、将来の旅行業界の若者たちがこぞって海外に出るきっかけとなることを心から願い、そして、そのために精進していくことを誓い、ここで筆を置くことにする。

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