[2012.08.11] 事前オリエンテーションが行われました!
[2012.07.31] ルックマレーシアプログラム2012 派遣生発表!
[2012.08.11] 事前オリエンテーションが行われました!
[2012.07.31] ルックマレーシアプログラム2012 派遣生発表!
町の風景はインド、売り物は中国。これが私のマレーシアの最初のイメージです。
最初の一週間は観光がメインでした。私の中でのマレーシアのイメージは先進国の仲間入り目前で、水資源が豊富というイメージでした。町中(主にクアラルンプール)のイメージは東京のような姿をイメージしていました。しかし、実際の姿は大きく違いました。
私は今まで主にアジアの国々にはインド、中国に行っています。アジアの二大大国です。この二つの国を経験している私はマレーシアの風景はインドの風景に近く見たことのある空気もありましたが、中国の香りもしました。町中歩いている時よく、ここがマレーシアということを忘れていました。
この感覚はあながち間違っていませんでした。それは「これがマレーシア!!」ってお土産がイメージできなかったことです。あくまで、クアラルンプール周囲の話なのでボルネオなどのことは考慮しません。
大学に戻ってから、昔マレーシアで日本語教師として働いていた先生にそのことを話しました。そしたらサラッと「マレーシアは急ピッチで作り上げられた人工国だからね」って言われたのが衝撃でした。よくよく考えたらマレーシアは大体20世記頃から発達した国でその時移民として華人やインド系が来たことを思い出しました。ここの多民族というのは類似民族ではなく、まったく異なる三つの人種がいるから多民族国家といわれているのだと気が付きました。しかし、個人的多民族よりシンプルに三民族と括った方が他とかぶらず個人的に好きです。
私の公式の書類、最後の卒業書の名前が「Suge」となっていたのが衝撃的でした。
そんなことはさておき、私は拓殖大学二回生、国際学部、国際学科で学んでいる柘植です。私のきっかけはマレーシアで東日本の今を伝え、日本代表でお礼を伝えることでした。
私は今まで東日本大震災に肉体労働としての支援で過去7回、私の所属する学生団体を通して参加しました。震災発生時、日本は多くの国に支援をいただきました。私も現場で外国人の人と共に活動した時もありました。その際、彼らにお礼を言い忘れました。
今回私の個人的なミッションは二つありました。一つ目はあの時言えなかったお礼を言うこと。もう一つは東北の今を伝えることです。私は今や、日本人でさえ過去の記憶になりつつある東日本の今を私は知っています。これを伝えるのは義務と思っています。この思いを胸に私はマレーシアに挑みました。
みなさん、海外でコミュニケーションはどうやってとりますか。恐らく多くの人は英語を使うというでしょう。もしくは中国語という解答もあるでしょう。
私、柘植信英は英語が全く喋れません。普通なら諦め、存在感を消すでしょう。ですが私、柘植は諦めませんでした。最後の手段ボディーランゲージを駆使して闘いました。
そして、私はボディーランゲージというのは自分の考えていること、言いたいことを全力でなりふり構わず伝えようとすることと悟りました。
例えば、華人系マレーシア人と車で二人だけの時は英語、中国語を合わせた会話をしました (ぐちゃぐちゃ過ぎてなかなか成立しませんでした)。また、ある時は電子辞書片手にKLIUCでシリア人とイラク人と三時間語ったこともありました。時には観光名所で三転倒立をして人気を集めたこともあります。ホームステイではみんな英語も通じない環境でした。ですがもともと英語の話せない私にとってみればいつもと同じなので持前のコミュニケーション力を使い、ホームステイファミリーの子供とジャパンナイト用の刀やコスチュームですぐに打ち解けました。
本気で、全力でやれば確かに伝えることはできます。
ですが、全部英語なしでも大丈夫などと甘い話はありませんでした。
私が一番悔しかったのは大学の授業でインプットすら厳しい状態になった時です。質問も答えられない。何を言っているのかもわからない。
マレーシアでの一番の後悔、それは己の英語力の無さを痛感した時です。
私は常にメンバーにこう言っていました。「無宗教かつ何も知らない人間は絶対に宗教に口をはさむな」と。
これは日本人に対しても言ってやりたいことです。
私自身、日本のお寺の人間です。これでも一応仏教での「洗礼」を受けた人間です。ですが、将来はお寺をやる気はなく、自分は無宗教と同じくくりと考えていました。ですが違いました。
それに気が付いたのは春に行ったインドでのことです。私はお寺以外の宗教施設(場所によっては拒否反応あり行かない時も)観光目的で行くことはあっても絶対にそこの仕来りや、洗礼は受けないと決めています。ですがインドには組織で行っていて、半ば強制宗教的行為を受けさせられました。その際、インド行ったメンバーは私以外、無宗教です。
私は宗教の有無で人の感覚は大きく異なると思っています。信ずる宗教を持っている人の感覚は、無宗教の人には分りにくいと考えています。その感覚を知らず、知識も経験もない人には手を出して欲しくないというのが私の意見です。
マレーシアの宗教の信仰具合のほんとの部分はわかりません。重く考える人、考えてない人さまざまでしょう。ですがそれらを図るすべはありません。
マレーシアでも他人を尊敬しているからとかうまく行っているとか言われていますが、自分とは違う人種に対してのさじ加減がわからないから文化にまでなっている「無関心」という今のマレーシアの宗教に対する姿勢が生まれたのではないでしょうか。
結論から入ると、彼らの自己主張は確実に日本人よりは強いと感じます。しかし確実に言えるのは個人主義ではないでしょう。もっと言うとこれ以外の違いは特別ないと私は考えます。
日本人は個人行動が苦手です。ですが、ピンチの時の結束力は強いのが最大の我が日本の世界に誇れる国民性だと思います。
日本メンバーはよく、「マレーシアの国民性をもっと日本人も見習わなければ」などと言っている人は多数いました。これは多くの人が日本の国民性のデメリットしか考えていない人の考えだと推測します。
例えば、日本人がマレーシアの人々のように自己主張が強ければ恐らく企業には入れないでしょう。逆にグループシンキングができれば、日本で生きていくことは可能です。
なぜこんなことを言うのかといいますと、私は多くの自己主張が激しいために組織にいられない大人を見てきました。彼らは口をそろえて「海外の企業なら」や「今伸びている企業は下の意見も聞く」など、あたかも自分を正当化しようとする人ばかりです。
今の日本があるのは集団意識の強さが生んだ国です。逆にこの国民性が失われることの方が私は恐怖します。
マレーシア人は皆、私たちが留学生ということもあり、優しかったのは事実です。彼らとの思い出もまた本物です。
今、私は日本人メンバー観察から日本人全体に通じる弱点をこの旅で二つ見つけました。
一つ目は思考がYES/NOしかないということです。これは多くの人に言えることだと思います。この危険なところは「自分の答えを作らない」ということです。これはある意味、答えは必ずYES/NOしかないと日本教育がそうさせてきたのかわかりませんが、まずいことだと私は感じました。なぜなら、これでは「誰かの与えられた答え」がすべてになってしまい自分で考え創造するということが出来ないということと思います。さらにはこの思考がすべての人になると、人間の進化は止まってしまうとすら感じたからです。
二つ目の弱点、それは生きる柔軟性がないということです。
私は過去にインドで家を作る肉体労働や、東日本などの災害現場を経験してきました。この経験で私の思考は「あれば幸せ、なければ工夫する、無理なら我慢、だって死なないもん」って感じでした。これは幸せの底辺が低いということもありますが。
私は今の日本人は便利にありふれ過ぎて幸せの底辺が高すぎる気がします。これは、メンバーがちょっとプログラム中、Wi-Fiが使えないぐらいで文句言うや、自分でストレスを処理できないからとすぐ誰かの責任にするなど今の日本の政治などの問題の縮図を見ている感じがしました。日本も、政府が何とかしてくれるだろう、自分で何とかしようとせず困ったらすぐ政府の責任にする日本の国民性がそこにはあると感じました。
日本人は圧倒的に「当事者意識」が欠けていると感じました。
私はマレーシアで改めて感じました。日本は今や、アジアでの優位性はないなと。それは、マレーシアから見た日本の文化から感じました。
イメージにアニメ、漫画ならまだしも「いかがわしいビデオ」があると言われたのはショックでした。
私は日本人としての誇りは持っています。だからこそ非常にショックでした。
将来何としても「俺が」日本を向上させます。
主に私は言いたいこと、感じたことが二つあります。
一つ目はマレーシアは考え方が他の発展途上の国にまだ近いなということです。それを一番感じたのは国益優先スタイルです。オーストラリアからの輸入鉱物をマレーシアで加工、オーストラリアへの再輸出が今マレーシアで行われています。その加工の際に出る有毒物質で苦しんでいる人がいると聞きました。さらにまだ公ではないのに驚きです。この国益優先スタイルだと近い将来公害などが派生するのではと思ってしまいます(すでに発生中かも)。
二つ目はマレーシアもこれからは華人の時代だと感じました。マレーシアの華人はとてもハングリー精神が強いです。それに、華人ネットワークが気になりました。この、国を頼らずビジネスのできる華人はこれからどんどん伸びてくると感じます。中国以外の中国語の需要も感じます。
しかし、今思うと、私はよく華人系のマレーシア人とかかわりが多く、彼らをマレーシアの人々の国民性と勘違いしているかもしれません。まだまだ知ることの多いなぞなぞの国、それがマレーシアということで終わらせます。