派遣生レポート

LMP2012を終えて

明治大学 法学部 法律学科
村山 将人

今から乗り込もうとするAir Asiaの赤い機体は深夜の羽田空港で一際目立っていた。搭乗を待つ私は、これから始まる3週間の日々に興奮しつつ、心の隅でこんなことを思っていた。

「日本のほうがマレーシアより先進的な国だ。日本が、そして私がマレーシアから学ぶべきことなど本当にあるのだろうか。」しかし3週間後、私のそんな予想は見事に裏切られることになる。マレーシアでの経験は、私に様々な気づきを与え、多くのことを教えることになった。

多民族国家マレーシアからのヒント

 クアラルンプールの街を歩いてみる。するとマレーシアという国が、いかに多様な人種・宗教・言語・文化を抱えているかということを改めて実感する。「本物っぽい!本物っぽいよ!」しつこく声をかけてくる商売上手なインド系商人。ついつい「どれどれ見せて」と興味を引かれた私の姿はまさに彼の思うつぼであったであろう。また、いつも時間に追われ何やら忙しそうな中華系のビジネスマン、ピンクや青の美しいスカーフを身にまとったマレー系の女性達。様々な人々から湧き上がる活気にこの街は包まれていた。ここに身を置くと、多様性こそがマレーシアの活力の源であり、また魅力であると感じさせられるのであった。

 しかし一方で、マレーシアはまぎれもない1つの統一国家なのである。民族間の折り合いをつけることは、容易なことではない。1969年には中華系とマレー系の間で激しい民族対立が起きた。民族間の経済格差を是正すべく打ち出されたブミプトラ政策(マレー人優遇政策)。これらに象徴されるように、多民族国家ゆえに直面する、様々な問題にマレーシアは向き合ってきた。

そうした厳しい歴史があったからこそ、マレーシアの人々は、自分と異なる信仰や価値観を持った人の存在を互いに理解している。その認識の上で、異なる民族同士は過度に交わらずに、各々のコミュニティーを形成するようだ。人々は、異なるものを批判するわけでもなく、かといって賛同するわけでもない。ただただ、寛容な姿勢で他者の存在を認めているのである。夕飯の食材を求めてスーパーに行った時のことである。イスラム教徒が食さない豚肉製品が、“non halal”と書かれた専用の別室に陳列されていた。これは、マレー系を中心とするイスラム教徒への配慮だ。最低限の他者への配慮は欠いていなかった。私が頭の中で思い描いていた「異なる民族の人々が手と手を取り合っている多民族国家の姿」と、今回私が見たマレーシアの姿はいささか異なっていた。共生の在り方は1つではないのだ。他者の価値観を互いに認め、寛容な姿勢で折り合いをつける、包容力あるマレーシア社会の姿は、今後日本がより開かれた国となっていくために、そして私たちが世界の人々と関わっていく時の現実的なヒントを示唆しているように思う。

しかしここで思考をさらに一歩進め、爆発的に人口が増え続ける世界の将来に思いをいたす時、我慢や寛容といった姿勢だけで何十年もやっていけるのか、一抹の不安を覚えるのも事実である。異なるもの同士が遠慮がちに距離を保ちながらやり過ごすことが、物理的にも困難な時代が来るのではないだろうか。すでに情報や経済の世界においては、国境という枠組みは、もはや意味をなさなくなってきている。そうした世界では、否が応でも人々が混在一体となり暮らしていくしかない。その時、いかに地球規模での共通の理念をもって暮らしていくか、そこが問われることになるだろう。異なる価値観を認め合う関係から「地球市民としての融和」への更なる飛躍である。私はこうした問題意識をマレーシアの地で抱くようになった。未来に向け、どう社会と関わっていくのか。私たちの世代に突きつけられた、この命題を真剣に考えていきたい。

学びに対する意識  現地の大学で過ごす中で

積極的な発言を求められる授業。一睡もせず準備して臨んだプレゼンテーション。現地の学生が招待してくれたバーベキュー。突然のスコールでびしょ濡れになった帰り道。また、日本の文化を紹介する“JAPAN NIGHT”で、日本の学生が、「ドラえもん」やメイドの衣装で舞台に登場した時の割れんばかりの歓声。マレーシア人も日本人も関係なく会場にいた全員が一つになったあの瞬間を鮮明に覚えている。現地の大学で過ごした2週間の日々は、毎日が新たな出会いや発見の連続であった。

マレーシアには、4か国語、5か国語を操る学生がざらにいる。大学の食堂で、一緒にマレー料理「ナシゴレン」を頬張った彼女もその1人だった。「なぜそんなに語学の勉強に励むのか?」とベタな質問をぶつけてみる。すると彼女は「言葉は私にとって、可能性を広げてくれるチャンスなの」と答えてくれた。私自身は言葉を1つの「ツール」として捉えていた。彼女と私が指しているものは、おそらく同じものだったと思う。しかし、「チャンス」と「ツール」。この表現の違いには、学びに対する意識の差が表れていた気がする。フランスの生物学者、ルイ・パスツールは、かつてこんなことを言っている。

"Chance favors the prepared mind." 「チャンスは準備ができた者に訪れる。」

2週間、現地の大学で過ごしていて感じたことは、マレーシアの多くの学生が、チャンスを掴みとるために、主体的に勉強していることである。そんな彼らの姿を見ていると、私は最善の準備を本当に行えているのだろうかと考えさせられ、身が引きしまった。

すべては体験から

今まで、イスラム教徒の友人が一人もいなかった私は、イスラム教と聞くと、「テロ」や「過激」などといったイメージが浮かんでくる。それは一面に過ぎないと知りながらも、どこか怖いイメージを抱いてきた。しかし、マレーシアで実際に出会ったイスラム教を信仰する人たちは、非常にフレンドリーで、穏やかな印象を受けた。

また、授業で知り合ったマレー系の女子学生と、たまたま廊下で遭遇した時のことである。マレーシアでは、友人と会うとまず握手を交わす。そんな習慣に慣れてきていた私は、挨拶をして、彼女に握手を求めた。だが彼女は、なにか申し訳なさそうな顔をしている。人にもよるのだが、イスラム教を信仰する女性は、男性とは握手を交わさないそうである。そのことを、私は知識としては知っていたはずなのに、ついつい手を差し出してしまった。

今回私は、実際にその環境に身を置き、現地の人たちとの生身の交流や、様々な体験を通して、これまで耳や目でのみ得た情報を、体全体で再確認した。単なる知識からより深い理解となり、体験こそが相手を正しく理解する一番大切なことだと感じた。そして、成功体験も失敗体験も、今まで気がつかなかった新しい視点や、気づきが生まれる、学びの原点だとも思った。そのことを改めてマレーシアで実感した。これからも、積極的に新しい環境に飛び込んでいき、体験を通した学びをしていきたいと思う。

最後に

「僕の前に道はない、僕の後ろに道はできる」

マレーシアで過ごした3週間の日々を振り返りながら、私が小学生だった頃に出会った高村光太郎の詩、『道程』の一節をふと思いだす。

照りつける太陽の下、仲間達と共有した時間。それは今まで私が歩んできた道の中でも、一際特別な輝きを放っている。そして15人の日本のメンバー、現地でできた友人、このプログラムで出会ったすべての人たちが、私にとって一生の財産である。

この夏の真の成果は、今後、私たちがどんな道を作っていくのかによって問われることになるだろう。たくさんの方々の期待・願いを乗せて誕生した「ルックマレーシアプログラム」のメンバーの一員になれたこと、そして貴重な学びの機会を頂いたことに心から感謝している。この夏の成果および感謝の気持ちを、これからの私たち自身の頑張りで表現していきたいと思う。