派遣生レポート

マレーシアという地での学び

同志社大学 法学部 政治学科
上木原 広平

繁華街の中心にあるホテルに到着したのは深夜。それにも関わらず街は大いに賑わっていた。「カオス」という言葉が私のマレーシアに抱いた第一印象だ。「マレーシア」といってもほとんどの期間をクアラルンプール(KL)で過ごしたため、全てがそうであるとは一概に言えない。しかしKLに関しては何か得体の知れないエネルギーに満ち溢れている都市だと感じた。巨大なショッピングモールがあると思いきやそこから5分も歩かないうちに屋台街に出くわしたり、警察ですら信号を守らなかったりと少なくともそこでは人々は自由に生きているように思えた。そんなマレーシアに滞在した中で、私の中に最も印象に残っているのは「人との出会い」である。この「出会い」を中心に現地で感じ、学んだことをいくつかの体験とともに述べていきたいと思う。

“Teaching never stops.” これは現地の大学で仲良くして頂いた教授の言葉である。彼はマネジメントと教育学の2つの博士号に加え学士も4つ取得しているというほど学問に熱心な方だ。また、彼は生徒に対して教授と生徒という垣根を超えて1人の友人のように接するということを心がけており、私とも気軽に会食に応じてくれた。非常に気さくな人物で、現地の学生と交流するのとはまた違った学びがあり刺激的だった。私のどんな質問にも真剣に考え答えてくれ、新たな発見を与えてくれた。上記の言葉は彼と教育について語り合ったときに出たもので、この言葉からも彼の熱意、真摯さが伝わってくる。彼は人生を学問と教育に捧げてきた男だった。彼はマレーシアだけでなく世界各国で学んできたそうだが、どのように生計をたてていたのかを聞くと、イギリスで学んでいた時代には勉学の傍らタクシーの運転手をすることで学費を稼いでいたと言っていた。無茶苦茶だと感じた。聞いているだけで挫折しそうな程長く険しい道をなぜ彼は突き進むことができたのか。そこには凄まじい情熱と信念があった。彼からはクリティカルシンキングを身につけ、物事の見方を変えることの重要性を教わった。これらは一朝一夕でできる物ではなく鍛錬を積むよりほかにない。

本プログラムでは企業訪問やマラッカやFRIMと呼ばれる森林研究所などの観光、カンポン(マレー語で田舎の意)・ホームステイなど多くの素晴らしい経験を得ることができたが、彼のように強烈な個性を持った魅力的な人々に多く出会うことができたことが一番の宝だと私は思う。本当に様々なバックグラウンドを持った人々がいた。マレーシア人だけでもマレー系、中華系、インド系と一括りにすることはできない。渡航前には、マレーシアでは「多民族」「多宗教」が混在しているというイメージがあったが、実際に現地を訪れると少し思い描いていた物とは違った。マレー系はマレー系、中華系は中華系というようにそれぞれコミュニティごとに住み分けており、各コミュニティがそれぞれ自分たちの生活を営んでいるという印象を持った。そして、言語は内部では彼ら特有のものを用い、外部と接触する際に共通言語として英語もしくはマレー語を話すという風に使い分けている。中華系の友人から英語やマレー語は親の教育で話せるようになっていたと聞き、日頃から言語のバランス感覚が養われているのだと感じた。異なる民族が共生する中でそれぞれが調和するために相手を尊重するという風習が根付いているのだと思う。

さて、プログラムの中で最も多く人々と交流する機会を得られたのは現地での大学生活である。そこでマレーシア滞在の大半の時間を過ごした大学生活について少し述べたい。

私たちがお世話になったのは‘Kuala Lumpur Infrastructure University college’(KLIUC)(滞在中にIUKL:‘Infrastructure University of Kula Lumpur’へと大学名が変更されたが)というインフラに特化した大学だった。当初は、インフラの大学というものは日本では見かけないため、どんな大学なのだろうかと不安と期待が入り交じっていたが、入ってみると面白い大学だと感じた。インフラということで生徒の大多数はエンジニアリングを専攻していた。カリキュラム上学部の授業見学にいくことは叶わなかったが、イベントなどを通して多くの生徒と交流することができた。当大学にはもちろん、現地のマレーシア人が多く在籍していたが、各国からの留学生も少なからずいた。特に中東やアフリカなどからの留学生の多さが目を引いた。普段日本にいるとこうした中東系の人々との接点を持つ機会はほとんどないので非常に新鮮だった。イエメンやイラク出身の友人になぜこの大学を選んだのかと聞くと母国ではインフラが整備されておらず、また、マレーシアは彼らにとって発展しているからという答えが返ってきた。私はその話を聞いて、やはり世界は広く日本は恵まれているのだなと感じた。なぜなら、KLのインフラは整っているとマレーシア人は口を揃えて言っていたが、私は成長の余地はまだまだあると考えていたからである。確かにマハティール第4代首相によって工業化に成功しある程度は整備されていると思う。しかし、その弊害によってあまりに車優先社会であるため、歩行者の危険度は高いだろう。特に身体障害者や高齢者には未だ住みにくいのではないかと感じた。その点、日本のインフラは世界最高クラスであり、誇るべきところだと思う。しかし、視点を変えればまた違った見え方があるという所に面白さを感じる。そして、彼らもまた母国の発展に寄与したいという情熱を持つ素晴らしいキャラクターの持ち主であり、滞在中仲良くさせて頂いた。また、現地のマレーシア人との交流としてサバ・サラワク州というボルネオ島出身の生徒と関わることが多かった。その中のエンジニアリングを専攻する数人の話によると、やはりボルネオ島のインフラはKLに比べて整備されておらず、専門家の需要があるということだった。両者の共通点はインフラ整備の必要性と自分たちが変えるという当事者意識があるというところだろう。

「当事者意識」は私たちの提言のテーマでもある。外交においては中韓露と繰り広げられる領土問題やTPP問題、国内においては震災復興や財政問題など深刻な課題が山積みである。「決められない政治」が続くとリーダーシップがないと嘆かれ、いざリーダーシップを取って行動すると独裁的だと批判を受ける。日本ではどこか閉塞感が漂っているように感じる。堂々と国旗を掲げることや愛国心を示すことすらはばかられる。この空気を私たちの世代が変えなければならない。マレーシアではちょうど8月31日が独立記念日ということもあって街中に国旗が掲揚されていた。1マレーシアとはナジブ首相が打ち出したスローガンだが素晴らしいアイディアだと思う。博物館や大学、政府機関など至る所でこのスローガンを見かけた。一つではないという現実と、一つになりたいという理想を人々はいやがおうにも意識するようになる。私の見聞きした感想によるとこの理想の達成は難しい。マレー系、中華系、インド系、それぞれの民族はそれぞれのコミュニティ内で生活しており、これは一種の「内向き志向」であるように思えた。この伝統が続く限り1マレーシアへの到達は厳しいだろう。しかし、ではこのスローガンは無意味かと問われればそうではない。これは人々の意識を変える最初の一歩だと思う。人々が変われば国も変わる。更なる発展にはバラバラな各民族が共通の目標を掲げる必要がある。Vision 2020はいい指標である。互いに抱える不満点、エネルギーの矛先を全て経済へ、発展へと転換している。マレーシアは欧米に比べて費用面、時間面において共に小コストであるため気軽に訪れやすい国である。気候は安定し食事もおいしく私自身これからも訪れたいと考えているが、特に2020年、マハティール元首相の打ち立てた長期計画の行く末を見届けたい。そして1マレーシアが人々に根付いているかどうか、これも非常に興味をそそられるところである。更なる近代化とともに、チャイナタウン、マレー人街、インド人街全ての要素を組み合わせたような、混沌としていて、かつエネルギーに満ち満ちているようなダウンタウンが形成されていたら面白いと思う。

最後に、本プログラムでは特に大学生活が始まってから授業や教授、学生との交流の中で英語を使う機会が増えたが、上手く自分の主張ができなかったり相手の主張を理解できなかったりということが少なからずあった。これは英語力だけでなく知性の問題にもなってくるのかもしれないがともかく悔しい思いをした。よく片言英語やボディランゲージでもコミュニケーションは取れるというが、それだけでは表面的な意思疎通しかはかれず、また、フォーマルな場に立つこともできない。非ネイティブだからという言い訳は通用しない。多様性を持つとはいえマレーシアも非英語圏である。問題はできるかできないかではなく、するかしないかである。そして、しなければ変化し続ける社会の流れについていけず駆逐されるのみである。私たちは現状にもっと危機感を持つ必要がある。今の私にできること、それは学ぶことである。当事者意識を持ち、挑戦し続けていきたい。