派遣生レポート

LMPに参加して

京都大学 総合人間学部 文科環境学系
原岡 友里

都会の高層ビル群もあれば鬱蒼としたジャングルもあるマレーシア。中華街を通り抜けたらヒンドゥー教の寺院が現れるマレーシア。懐の深い国、マレーシア。今年、短い夏を経て、私にとっての新たな故郷が生まれました。

マレーシアでは美味しいものをたくさん食べました。スパイスの効いたラクサにナシレマ、肉骨茶。綺麗なものもたくさん見ました。びっくりするような数のホタル。夜空にそびえるツインタワー。まっすぐに続く田舎の一本道とヤシの木畑。それらはどれも私の心の疲れをほぐしてくれました。しかし何と言ってもマレーシアで印象的だったのは、マレーシアの人々の人柄、そして考え方、生き方でした。

マレーシアではさまざまな人と出会いました。積極的に話しかけてくれる人、シャイな人、ぶっきらぼうな人、日本のことが大好きな人…。マレーシアの人は○○だ、と簡単に当てはめることはできませんが、私が出会ったすべての人に共通していたのは根っこにあるあたたかさでした。一言で「あたたかさ」と言っても、その中身は多種多様です。目に見えるおもてなし、ホスピタリティの場合もあれば、外国人旅行客でも特別視しないという一見ぶっきらぼうな態度により、人々の中に根付いている「異なる人」への寛容性を感じ取ることもありました。

特に印象深かったのは、最後の一週間で滞在した大学、KLIUCの学生たちでした。KLIUCで出会った学生たちは、一生懸命もてなしてくれて、ひとつでも多くのマレーシアのおいしいもの、面白いもの、美しいものを紹介しようとしてくれました。夜市のおいしい屋台であったり、新しい政治都市であるプトラジャヤの幻想的な夜景であったり。もともと引っ込み思案で英語を使って話すのが苦手な私は、出会ったばかりの頃は何を話したらよいのかもわからずおろおろとしていましたが、彼らのおかげでもっとマレーシアを好きになることが出来ました。自分の住む国の素晴らしい部分を、胸を張って紹介できる彼らをまぶしく思いました。何事も人と人との出会いからしか生まれないという言葉の意味を感じました。

マレーシアに滞在している間に、マレーシアの魅力的なところをたくさん知りました。それは、おおらかな「マレータイム」であったり、夜市の雑踏であったり、中華系とマレー系の二人の女子生徒の友情であったりしました。それらはみな日本にはないものか、なくなってしまったものでした。それらは日本人である私にとっては羨ましく思えました。マナーとクリンリネスの意識が行き届いた日本社会を思い出し、それを少し息苦しく思うことすらありました。しかし、だからといって垣間見たマレーシア社会の一面を躍起になって取り込む必要はないのだとも思っています。もちろん取り入れるべきものは多く、積極的にマレーシアを見習っていく必要性も痛切に感じています。しかし、隣の芝生が青かったからといって、躍起になって自宅の芝生をペンキで塗ってしまう必要はないと思うのです。まずは自分の芝生の豊かさを愛でる心を持つことが優先なのではないでしょうか。そのうえで、自宅に足りない部分を継ぎ足していくべきではないかと思います。このままじゃ日本はダメだ、日本の若者はダメだ、と危機感を持つことは大切なことですが、嘆くばかりではなくて、あくまで前向きに頑張るというその姿勢も重要なのではないか。マレーシアにいる間に、そういうことを考えました。

しかし、そうは言っても、まずは隣のお庭にお邪魔しない限り、その芝生がどんな色なのかはわかりません。隣の青さをまずは知ることが必要です。自分の住んでいる国がいったいどういう国なのか、どういう歴史、文化を持っているのか。世界における現在の立ち位置はどんなものなのか。多くの日本人が「日本」という国について知らずに生活しています。人は、自分の居場所を離れて初めてその居場所がどんなところであったのかを知ることができます。日本人が日本を知るためには、では一体どこへ行けばよいのでしょうか。日本人にとってマレーシアというのはうってつけの国だと思います。建物も、食べ物も、道を歩く人々も多種多様。日本の知らなかったアジアを見せてくれる国がマレーシアです。日本人が宗教に疎いというのは有名な話です。特に普段の生活でなじみの薄いイスラム教に関しては、無知な上に誤解ばかりが重なって行っているように思えます。しかし、美しいモスクを見て溜息をついた瞬間、スカーフを被った友達が出来た瞬間、その時すでにイスラム教に対する意識はなんらかの変化を遂げているのではないでしょうか。論理の枠を飛び越えた感動は、何にも勝るものだと思います。

マレーシアでの三週間は、私にとって自分の無知を恥じ続けた三週間だったと言えます。歴史、文化、経済、言語などマレーシアについての様々な事情をマレーシアの人の口から聞くたびに、日本について同じことを自分が語れるだろうかと自問していました。政治や経済について、私は新聞の上っ面をかすめる程度の知識しか(場合によってはそれすら)持ち合わせていません。恥ずかしいことに、毎回答えは「NO!!」でした。日本に帰ってきてからするべきことは何か、それはまず日本のあらゆる事情について、まずは知ることだと考えています。

プログラムを終えた今、私はいい意味で焦っています。マレーシアでの出会いもかけがえのないものでしたが、一緒にプログラムに参加した日本の学生との出会いもとても大きな意味を持つものとなりました。勉強熱心だったり、好奇心旺盛だったり、知識豊富だったり、なにより一人の人として魅力的な人ばかりでした。自分で一歩を踏み出す力を持った人にたくさん出会えました。自分の無知を恥じる毎日で、久々に強い悔しさも感じました。同世代でこんなに頑張っている人たちがいるのならば、私も負けてられないという心境です。

LMPに参加する前、私は自分の大学生活に不満ばかり抱いていました。チャンスに恵まれていないとぼやいていました。このままの大学生活を続けていてよいのか。これからどう生きていくべきか。大学生になってからずっと、私は悩み続けていました。煮詰まってなにもわからなくなって実家に逃げ戻って鬱々とした日々を過ごしたこともありました。しかし人は、悩んでいるときに思わぬところで答えを見つけることがあります。私はこのプログラムを通じ、今後生きていくための数々のヒントをもらった気がします。3週間の経験を経て、今までの私に足りなかったのは、一歩踏み出す勇気だったのではないかと気づきました。チャンスはそこら中に溢れているのに、しり込みしてしまって自ら大事な機会を逃していたことに気づきました。日本の片隅でうじうじと悩んでいる場合ではないなと実感しました。環境に恵まれていないと嘆くことは容易いですが、嘆く暇があったら自分から機会を生み出せばいいのだと肌で感じました。私と同じようなことを感じている学生は多いのではないでしょうか。大学での毎日は、なんとなく暮らしていても一応の形をもって成り立ちます。授業をこなし、バイトをし、サークルに顔を出す。しかし、本当にそれが自分の望んでいる大学生活なのか疑問を感じることはありませんか。「未来を担う若者」なんて、よく聞くけれども、それが自分のことだなんて普段意識しようにもなかなかする機会はないと思います。マレーシアで、自分たちの将来を見据えている学生たちと出会ったことにより、そしてLMPのメンバーと話をしたことにより、今後日本を支えていくために自分も行動しなければならないと思うようになりました。

少し話は変わりますが、自分の普段いる環境を飛び出すこと、そして異世界に触れることは、自分が生きていくうえでの「世界の見え方」をひとつずつ増やしていくことだと思います。ひとりでも多くのひとに出会って、その「世界の見え方」を知って、自分の生き方を豊かなものにできればと思います。たかが20歳の知っている「見え方」は、不自由で狭くて浅いものだけれど、それと同時に柔軟でいくらでも広がる可能性を持っているものだと信じています。今回のマレーシアでは、国籍や宗教を超えてさまざまな「見え方」を持っている人々に出会えました。そこで教えてもらった考え方、感じ方、人生の楽しみ方というのは、きっと今後もずっと私の生きる糧となってくれることでしょう。

この文章を読んでくださっている方の中には、次回のLMPに応募しようかどうか悩んでいる人もきっといることだと思います。応募用紙を一枚書くだけで、人生を変える体験につながることがあります。いや、でも夏休みはバイトが、ゼミが、レポートが…という思考回路をあえて一旦止めてみて、ぜひ応募してみてください。

最後に、この場を借りて、今回チャンスを与えてくださったすべての人々に感謝いたします。ありがとうございました。